嘉義駅(嘉義)
何かしらのアナウンスがあるわけでもなく、プラットホームは黄昏の静けさに包まれていた
列車は短い時間停車すると、黄昏の中に溶けるようにして走り去り、再び静寂だけが残った
列車の扉はすべて開いたままで、まるで気怠さに負けて大きなあくびをしているかのようだった
嘉義(台湾)
男の様子に何かしらの自由さと諦めが同居しているように見えた
通りに面している建物だけではなく、その裏側にも昔ながらの家屋が並んでいるようだった
茶葉の産地として有名な阿里山の麓にあるので、嘉義には茶を売る店が多くあるのだろうと思い込んでいたけれど、それは僕の思い違いだった
盤面を見ると駒が少なくなっているから、勝負は佳境に差し掛かっているようだ
日本の植民地だったという歴史を考えると、日本語への親しみは少し意外で、朝鮮半島でのイメージとは大きく異なっている
故宮博物院南部院区(嘉義)
ガラスケースの中に世界で一番有名な白菜が置かれていた
今でこそ、西洋にもマイセンやウェッジウッドといった名の知れた陶磁器メーカーがあるけれど、もともとは中国発祥の技術だ
仏像はどこからともなくお経が聞こえてくるのを待っているのかもしれないけれど、ここは寺院ではなく博物館だ
台南駅(台南)
台南駅のプラットホームはとても長いので、途方もなく長い列車がやってきたとしても楽々と停まれるに違いない
水仙宮市場(台南)
シャッターの閉まった水仙宮市場で親子ふたりが我が家でくつろいでいるかのように楽しんでいた
中西区(台南)
茶碗と湯呑みは裏返しに置かれ、いつでも客を迎えられるように準備万端だった
男が工房の中で八仙彩と呼ばれる飾るのれんの刺繍していた
台南(台湾)
錆びて古びた茶缶に入れられて茶葉が売られていた
東獄殿(台南)
非科学的ともいえる伝統の占いと最新の電子機器が、ここでは何の矛盾もなく同じ空間を共有している
台南東獄殿(台南)
普通ならば獅子が置かれているはずの入り口の脇に丸い石が置かれていた
冥銭は燃やされて煙になることによって冥界に届くと信じられている
台湾府城隍廟(台南)
地元の人びとはどの神様に何をお願いするのか、お願いごとの内容に応じて寺院を使い分けているのだろうか
ご利益に商売繁盛を掲げる寺院は多いけれど、もっとも繁盛しているのはそんなご利益を掲げた寺院のような気がする
きっと料理がなかなか出てこないことにも、僕がカメラを向けていることにも、少なからずイライラしているのだろう
よそ者の僕にとって、迷路のように複雑に入り組んだ市場の路地はとても魅力的だ
神農老街(台南)
この漢字が「開店中」を意味することを、僕は後になってから知った
南勢街西羅殿(台南)
台湾では神様にも大きな花環を送る習慣があるようで、なんだか開店祝いのようだった
祭祀演劇に出ていた俳優の顔は青く塗られ、大胆なつけ眉毛を付けていた
王冠のような帽子と緑を基調とした模様の組み合わせは、色使いこそ違えど、どこか歌舞伎の隈取を連想させた
ほとんどの男の子にとって、お母さんのすぐ後ろは安心できるポジションだ
茶のスタンドで売られている茶の種類は多く、どれを選べばいいのか決めるのは困難な作業だ
中国系の女性は日本の女性よりも全体的に気が強く見えることが多い
忙しく買い物を済ませた男の顔は険しかった
台湾で売られている果物はどれも驚くほど安く、果物好きがこの光景を目にしたら、きっと小躍りするに違いない
細い通路が入り組む市場の中でも、ここは裏通りのようで、市場の表の顔とは異なる別の時間が流れているようだった
次から次へと野菜が放り込まれるビニール袋はあっという間に膨れ上がり、見る間に一杯になった
台湾の市場では日本で見かけない変わった形の包丁を目にする
タウナギの皮は思っている以上に伸びるのだ
台湾では全体的に料理の味付けが控えめな傾向があるから、キムチのような刺激的な味が新鮮なのかもしれない
鴨母寮市場(台南)
台湾の市場では果物の種類の多さと価格の安さに驚かされる
台湾では寿司が人気なので市場で巻きずしを作っている人たちがいるのも特に不思議なことではない
カメラを向けると、老婆は特に動揺することもなく、静かに視線を返してくれた
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