鴨母寮市場(台南)
店先の客たちはが黙々と魚屋の手許を注視していた
鶏に残った産毛を丁寧に取り除くのは、とても地味で気の遠くなるような作業だ
豚足は見るからに新鮮そうなのと同時に生々しく、今にも歩き出しそうな錯覚に陥った
くりくりしたサバヒーの瞳が並んでいるのはシュールな光景だ
家鴨の肉を食べたことはあるけれど、頭が出てきた経験はないものの、こうしてお店に並んでいるということは頭も立派な食材なのだろう
日本ではあまり馴染みがない魚だけれど、虱目魚はこの地で非常にポピュラーな存在だ
生きている時は愛嬌のある顔つきなのかもしれないけれど、すでにさばかれた後の虱目魚の瞳は、どこか不気味さを感じさせる
可愛らしい色合いが、真剣な表情とのギャップを生んでいた
その仕草と素敵な笑顔が、さらに僕の満足感を増してくれた
女性が手際よく肉圓を作るのを眺めていると、料理が運ばれてくるのを待つ時間があっという間に感じられた
さまざまな野菜が並んでいるだけではなく、果物も扱っており、林檎が整然と並べられていた
大觀音亭(台南)
クッションの上で膝をつき、祈りを捧げている青年を、壁に彫られた龍の装飾がじっと見守っていた
祭壇で背筋を伸ばして経典を読む女性はまるで勉強机で勉強しているかのようだ
台南(台湾)
大量のビニール袋がくくりつけられた光景はまるで、船底にびっしりと貝殻が張り付いているようで、どこか非現実的な印象を受けた
八仙彩と呼ばれる神棚用ののれんを作る女性の手際は驚くほど正確だようだった
猫たちはどこにいても自由で、自分の時間を楽しんでいる
何匹もの猫たちに出会った路地裏はまるで猫たちの隠れ家のようだった
自動車が入るにはあまりに狭い路地は自然と静寂を湛えている
老眼の男性が歩道に設置されたベンチで新聞を読んでいた
派手な宣伝や目立つ装飾はなく、看板が軒下に控えめに掲げられていた
台南には数え切れないほどの寺院が点在しているものの、それらすべてが一般公開されているわけではなくプライベートな寺院も多いようだ
どこの国でも女の子は話し好きと相場が決まっているような気がする
通りには漢字で書かれた看板が溢れていた
水仙宮市場(台南)
営業妨害ではないかと思うほど、男は苦々しい顔でレンゲを弱々しく口に運んでいた
日本もそうだけれど、すべての国が西暦を用いているわけではなく、北朝鮮は主体年号という独自の暦を使っているし、イスラム諸国ではイスラム暦が広く使用されている
煮込み料理と言われるとわかったような気になってしまうものの、滷味の内容を理解するのは難しい
誰もいなくなった水仙宮市場で働く男に、終わりゆく一日の中でやるべきことを終えようとする責任感のようなものを感じた
栄養豊富な食材といわれても、菱角の尖った角のような形状や黒い外見は僕の食欲をそそるには少し不気味すぎた
中正区(台南)
短い瞬間でさえ、情報や連絡を確認しなければ落ち着かない彼女の姿は、いわゆる「スマホ中毒」を思わせるものだった
ハンドルを握っているのは奥さんで、旦那さんは後部座席に座っていた
幼い男の子が真剣な顔で何かをじっと見つめながら、スナックを次々と口に運んでいた
南勢街西羅殿(台南)
どちらも言葉を発することなく、舞台で展開される物語に没頭していた
女の子の靴に描かれたキティちゃんは、どこか無表情で、彼女の没入ぶりとは対照的だった
お楽しみとして演劇が始まるようで、厳かな儀式から一転して、和やかな期待感が漂い始めた
観光地を離れた場所には、のどかな空気が漂い、日常の営みがゆっくりと流れていた
無造作に積み上げられた籠と軽食を食べる女性の静かな姿との対比が、混沌とした市場の中に妙な調和を生み出していた
アジアでは手を合わせるという仕草が宗教を超えて「祈り」や「敬意」を示す共通の動作として広く使われているのような気がする
説法が行われていたとはいえ、それは特別に仰々しいものではなく、日常の延長線上にあるような素朴な雰囲気が漂っていた
大勢の参拝客が大きな香炉を囲むようにして立ち、説教とも儀式の一環とも取れる話に耳を傾けていた
八百屋の女性は、そんな静けさの中でも忙しそうで、ゴチャゴチャとした机の端に座り、何かを一心不乱に書き込んでいた
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