ヤンゴン(ミャンマー)
場所取り競争に破れた人たちは、道の端ではなく真ん中で店を開いている
野菜や肉などの生鮮食品を売る露天商が並んでいる道に、クーンを売る露店も出ていた
お母さんがどっしり椅子に腰掛けて、膝の間に幼い娘を挟みながら娘の髪の毛の手入れをしてあげていた
バングラデシュとタイに挟まれているため、ミャンマー料理はタイ料理からもインド料理からも影響を受けている
ストランド通り(ヤンゴン)
若いお母さんはパジャマと言ってもいいようなカジュアルな格好で夜市にいた
多くの地元の人たちの後を追ってたどり着いた先は小さな船着き場だった
男の子の顔にタナカでミッキーマウスのような模様が描かれていた
面倒なことにミャンマーでは値段がアラビア数字ではなくビルマ数字で書かれていることが多い
川沿いに出ている夜市というから、川の夜景が見えるのだと思っていたけれど見えなかった
タナカという化粧か日焼け止めか分からないものを塗っているのも、クーンと呼ばれるビンロウの葉を噛むのが好きな
合羽橋(東京)
専門店の並ぶ合羽橋には精巧に作られた食品サンプルを専門に扱うお店もある
浅草寺(東京)
同じ仏教徒でも、お参りの仕方には国によって違いがある
新橋(東京)
SL広場の片隅には一般に思い浮かべる将棋盤よりもずっと大きな将棋盤が置かれていた
中野(東京)
車椅子の影もまるで影絵のようにはっきりと路面に落ちていた
牛嶋神社(東京)
いくら歴史があるとはいえ、牛嶋神社のような地味な神社に外国からの観光客が訪れているなんて、ちょっとびっくりだった
代々木公園(東京)
日本のロカビリーの歴史は長く、1950年代後半にはすでに日本に入ってきたようだ
音楽がかかると、花柄のスカートをはいた女性が前に出てきて軽やかに踊り始めた
代々木公園は1909年に造営された陸軍省の代々木練兵場だったところだ
明治神宮(東京)
明治神宮で匂いにつられて近づいていくと、団子が焼かれていた
明治神宮で二台のカメラを携えた女性がひっきりなしにシャッターを切っていた
赤坂氷川神社(東京)
楽人装束に身を包んで笙と篳篥を演奏していた男たち次に現れたのは新郎新婦だった
赤坂の繁華街からそれほど離れていない丘の上にある赤坂氷川神社にはこんもりと木々が生い茂っている
ラーチャダムヌーン・クラーン通り(バンコク)
街路樹の横に腰を下ろした二人の真ん中に盤が置かれていて、ゲームに興じていた
バンコク(タイ)
バンコクは近代的な大都市なので、昔ながらの天秤棒はあまり似合わないのかもしれない
ヘアピンを付けた女の子は写真を撮られるのにノリノリで、ハンドルに寄りかかりながら笑ってくれた
カオサン通りの屋台やお店でくつろいでいるのは外国人ばかりで、なんだかタイではないような感じだ
カオサン通り(バンコク)
安宿街だったカオサン通りは今ではすっかり繁華街に変わってしまい、かつての雰囲気は路地の奥に少し残るだけだった
プラスメン砦(バンコク)
プラスメン砦はミャンマーからの攻撃に備えて築かれたものだ
バンコク・ノイ運河(バンコク)
バンコク・ノイ運河に架かる橋は食堂になっていた
バーンコークノーイ区(バンコク)
作業員たちは楽しげに働いていて、ショベルカーの運転席にいた男は嬉しそうに親指を立ててくれた
バンコク第2の鉄道駅の近くだけれど、バーンコークノーイ区は都会の喧騒とは無縁だった
バーン・ブー(バンコク)
写真を撮らせてもらおうと地元の人に声を掛けると、異口同音に同じことを教えてくれた
ワット・スワランラーム(バンコク)
年配の僧侶が誰もいない本堂の中で淡々と読経をしていた
トンブリー駅(バンコク)
トンブリー駅に停車中の列車に乗り込んだ男性がサムズアップしてくれた
トンブリー駅はフアランポーン駅に次ぐバンコク第2の駅だと言うけれど、その雰囲気はバンコク最大の駅とはかなり違う
サラーナムローン市場(バンコク)
トンブリー駅の前にある市場は比較的大きい
仕事を終えた女性が、市場の一角で鍋をつついていた
閑散とした市場の一角で、女性が大きな鍋で唐辛子を炒めていた
薄暗く閑散とした市場に活気が漲るのは朝だけのようで、買い物客の姿はなく、ところどころに働いている人がいるだけだった
女性は魚の切り身を乗せた笊を運んできて商売をしていた
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