かつて江戸幕府は朱子学を中心とした儒学政策を採用し、幕府直轄の学問所でも朱子学以外の異学の講義を禁じたくらいだった。それにもかかわらず、日本には朱子学の体系化を成し遂げた朱熹を祀った廟は存在しないし(中国にはあるのかな?)、儒学の始祖である孔子を祀った孔子廟も少ない。江戸時代の寺子屋では、意味が分からずとも四書を皆で素読する学習法が一般的であったことを考えると、なおさら不思議に思えてしまう。儒学に通じていることは当時の知識人の象徴でもあったから、神社に祀られていてもいいような存在とも言えるものの、それもない。そのような日本で湯島にある湯島聖堂は、数少ない孔子廟のひとつだ。
一方、日本以外の儒教文化圏を見ると、本来の発祥地である中国はもちろん、朝鮮半島や台湾、ベトナム、マレーシアなどでも孔子廟が結構存在している。この差の原因は、日本が律令制度などを中国から取り入れた一方で、科挙制度は採用しなかったことにあるのかもしれない。科挙のある国では、科挙に合格して士大夫の地位を得ることが社会的な昇進の道だった。しかし、日本にはそのような道は存在せず、論語を真剣に学ぼうとする人びとも少なかったのかもしれない。その結果、孔子を祀るような孔子廟があまり建てられなかったのではないのだろうか。ある意味、昔の日本は知識主義よりも反知性主義的な一面を持っていたのかも。
2023年5月 町角 東京 | |
お堂・ホール 参拝客 湯島 |
No
12489
撮影年月
2023年2月
投稿日
2023年05月11日
更新日
2023年08月08日
撮影場所
湯島 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS BATIS 2/40 CF