新丸の内ビルディング(東京)
静寂に包まれた通路には都会の薄汚れた感じが見当たらず、どこからからストームトルーパーが現れてくるのではないかと錯覚を持ってしまうくらいだ
中野(東京)
車椅子の影もまるで影絵のようにはっきりと路面に落ちていた
牛嶋神社(東京)
いくら歴史があるとはいえ、牛嶋神社のような地味な神社に外国からの観光客が訪れているなんて、ちょっとびっくりだった
向島(東京)
今では向島と聞いて繁華街と思う人はほとんどいないだろう
渋谷駅(東京)
岡本太郎の壁画を眺める人は少ないけれど、渋谷のスクランブル交差点を眺める人は多い
マーチエキュート万世橋(東京)
マーチエキュート神田万世橋は、かつて存在した万世橋駅の跡地に設けられている
東京ビルディング(東京)
日頃は大勢の人で賑わっている東京ビルディングのエントランスホールも閑散としていた
大手町(東京)
江戸幕府が開かれて江戸湾の埋め立てが始まるまで、丸の内や日比谷と同じように大手町も入江だったところだ
中目黒(東京)
看板の中の女性は人差し指を口に当てていて、訪れた人たちに向かって、静かに鑑賞するように伝えているかのようだった
湯島聖堂(東京)
湯島聖堂は孔子廟であると同時に江戸幕府直轄の学問所である昌平坂学問所であったところだ
代々木公園(東京)
日本のロカビリーの歴史は長く、1950年代後半にはすでに日本に入ってきたようだ
音楽がかかると、花柄のスカートをはいた女性が前に出てきて軽やかに踊り始めた
代々木公園は1909年に造営された陸軍省の代々木練兵場だったところだ
明治神宮(東京)
明治神宮で匂いにつられて近づいていくと、団子が焼かれていた
明治神宮で二台のカメラを携えた女性がひっきりなしにシャッターを切っていた
明治神宮御苑(東京)
御苑と聞くと、新宿御苑を思い浮かべてしまうけれど、明治神宮御苑は別の御苑だ
泉岳寺(東京)
物語では赤穂浪士は主君の仇討ちを行った義士ということになっているけれど、幕府は単なる押し込みとして処理している
高輪神社(東京)
周囲をビルに囲まれている高縄神社も縁起によるとその歴史は思いの外古い
靖国神社(東京)
大村益次郎には靖国神社の参拝が国際問題になるなんて想像もつかなかっただろう
タカシマヤタイムズスクエア(東京)
日本最大級の規模を誇る本屋さんだったのに、いつの間にか洋書専門店になってしまった
新宿(東京)
ほとんどの人が新宿通りから大道芸人がいなくなってしまったことなど、気に留めていないかもしれない
東京スクエアガーデン(東京)
京橋という地名の由来となった橋はおろか、その橋が架けられていた川も今ではなくなっている
赤坂氷川神社(東京)
赤坂氷川神社の参道は、赤坂にあるとは思えないくらい落ち着いた雰囲気だった
楽人装束に身を包んで笙と篳篥を演奏していた男たち次に現れたのは新郎新婦だった
赤坂の繁華街からそれほど離れていない丘の上にある赤坂氷川神社にはこんもりと木々が生い茂っている
椿山荘(東京)
駐車場は鋭い視線を投げかける猫の縄張りだったのかもしれない
羽田空港(東京)
羽田空港のターミナルの端っこでシルエットが搭乗時間を待っていた
水道橋(東京)
のれんをくぐって食堂から男が出てきた
強い夏の日差しが降り注いでいて、路上の多くは周囲に建ち並ぶビルの影に覆われていた
品川(東京)
鮮やかな黄色の傘を差した男がくすんだ道を光を放ちながら歩いているようだった
田端(東京)
世の中が商業主義に塗れているからこそ、少なくとも自然くらいは強欲な資本主義からは離れたところにあって欲しい
高架の上を走る新幹線は地表を歩く通行人の目から隠れたところを駆け抜けていくのだ
田端八幡神社(東京)
神格化した富士山を信仰の対象にするなんて、まさにアニミズム的な信仰だ
昔ながらの商店街にある魚屋の佇まいはやはり昭和の薫りがするものだった
氷川神社(東京)
静かな境内は誰にも邪魔されずに静かにひと時を過ごすには格好の場所だ
長圓寺(東京)
門前で熱心にお参りしていた男を不思議そうに眺めながら、カップルが急ぎ足で通り過ぎていった
千住(東京)
僕が役立たずだということを理解したようで、猫は挨拶することもなくどこかへ歩き去っていった
旧日光街道沿いで昔ながらの洋品店が営業していた
大きく口を開けて、虚空を眺めている豚の置物は何も考えていないように見えるけれど、任務を遂行している最中だ
千住本氷川神社(東京)
石造りの鳥居の向こうに食物・財福を司る大黒天を祀る社殿が建っていた
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