水道橋(東京)
のれんをくぐって食堂から男が出てきた
強い夏の日差しが降り注いでいて、路上の多くは周囲に建ち並ぶビルの影に覆われていた
品川(東京)
鮮やかな黄色の傘を差した男がくすんだ道を光を放ちながら歩いているようだった
田端(東京)
世の中が商業主義に塗れているからこそ、少なくとも自然くらいは強欲な資本主義からは離れたところにあって欲しい
高架の上を走る新幹線は地表を歩く通行人の目から隠れたところを駆け抜けていくのだ
田端八幡神社(東京)
神格化した富士山を信仰の対象にするなんて、まさにアニミズム的な信仰だ
昔ながらの商店街にある魚屋の佇まいはやはり昭和の薫りがするものだった
氷川神社(東京)
静かな境内は誰にも邪魔されずに静かにひと時を過ごすには格好の場所だ
長圓寺(東京)
門前で熱心にお参りしていた男を不思議そうに眺めながら、カップルが急ぎ足で通り過ぎていった
千住(東京)
僕が役立たずだということを理解したようで、猫は挨拶することもなくどこかへ歩き去っていった
旧日光街道沿いで昔ながらの洋品店が営業していた
大きく口を開けて、虚空を眺めている豚の置物は何も考えていないように見えるけれど、任務を遂行している最中だ
千住本氷川神社(東京)
石造りの鳥居の向こうに食物・財福を司る大黒天を祀る社殿が建っていた
千住神社(東京)
歴史のある千住神社の参道には誰もおらず、閑散としていた
かなり蛇行した路地だったから、ここはかつて川だった場所なのかもしれない
人通りの少ない寂れた雰囲気の場所で、突如として自信満々の顔をした豚が出現するのはちょっと怖い
渋谷駅(東京)
そのお洒落な出で立ちは太陽の降り注ぐ地上から離れた場所には不似合いだった
東京国際フォーラム(東京)
催事場の騒々しさとは裏腹にカフェのは静かで、誰も彼もがじっとしていた
壁はまるでキャンバスのようで、女性はキャンバスの中を移動しているようだった
池上本門寺(東京)
本堂に行くには急な石造りの階段を登らなければならず、足を踏み入れるための登竜門のようだった
池上本門寺は外国のガイドブックには載っていないようで、境内を歩いていても外国からの旅行者を見かけることはなかった
六義園(東京)
小さな門の向こうには日光が燦々と降り注いでいて、眩しいくらいに明るかった
日本橋(東京)
石造りの立派な日本橋も今では高速道路の下になってしまい、威厳がなくなってしまっているから、麒麟の像くらいしか見どころがない
フェンスは女の子よりもちょっと高く、つま先で立って精一杯背伸びをしているのだけれど女の子の頭がフェンスの上に出ることはなかった
渋谷(東京)
馬のマスクをかぶった男がドラムを叩く姿は大勢の人の耳目を集め、男の思惑通りの状況になっていたことだろう
豊栄稲荷神社(東京)
鳥居には奉納年が書かれており、「皇紀2650年」と書かれていた
金王八幡宮から出て道を渡るとそこは豊栄稲荷神社だけれど、境内の雰囲気はかなり異なる
金王八幡宮(東京)
地面に設けられた栓が黄泉の国とこの世を繋ぐもので、拝殿は単なる飾り物なのかもしれない
あまり離れていないところに鎮座している渋谷氷川神社と金王八幡宮は、縁起によると同じ年の創建だ
渋谷氷川神社(東京)
木々に挟まれた参道の向こうには鳥居が立っていて、その反対側をバスが走っていた
新宿大ガード(東京)
新宿大ガードはごちゃごちゃした歌舞伎町と整理整頓された副都心を分け隔てるためにあるかのようだった
新宿(東京)
新宿南口を出た辺りに今でも残っている路地は、戦後のどさくさに立った闇市の雰囲気を感じさせる
赤坂サカス(東京)
かつて日本では紫は高貴な色とされていたため、皇族やそれに連なる者にしか使用が認められない時代もあったのだという
赤坂(東京)
女の子のスカートと傘が日光にとても映えていて、その鮮やかさは向こうの方に見えるくすんだ色の鳥居とは対照的だった
女の子の白いスカートが地上から降り注ぐ日光の中でキラキラと輝いていた
西小山(東京)
予想以上に長い商店街の最後の方にあった洋品店がセールを行っていた
皇居(東京)
江戸城が築城されるまで乾濠は天然の川で、千鳥ヶ淵から続く自然の谷戸地形に水をせき止めて濠にしたのだという
江戸城本丸天守台のすぐ後ろに「北桔橋門」という小さな門がある
天守閣の代わりの役目を果たすには、松は小さすぎるような気がした
石垣に使われている石はどれもこれも大きく、揺らやかな弧を描くように積まれていた
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