神楽坂の路地を歩いていると、杉玉を見かけたり、道端に盛り塩されているのを見かけたりして伝統的な日本を垣間見ているような気分になれる一方で、モダンでお洒落なレストランにも遭遇する。料亭や見番のある花街として賑わった時代のものと今時のものが混在しているのだ。そんな町並みを眺めていると、時空が歪んでいるような気がして面白い。
神楽坂の繁華街としての歴史は長い。旗本の武家屋敷や寺社が多く配置された結果、江戸時代から神社仏閣で岡場所が発達し、人気の寄席まであったという。明治時代になると武家屋敷はなくなってしまったものの、新たに官庁の役人や会社員の住居が増え、寺にあった岡場所から発展した花街も形成され、時代が変わっても引き続き賑わうことになる。
1895年に甲武鉄道の飯田町駅が開業すると神楽坂はますます発展する。さらに関東大震災で下町が甚大な被害を受けると、銀座の有名店がいくつも神楽坂に出店し「山の手銀座」と言われるまでに繁栄したのだという。花柳界も発展し、最盛期には芸妓数619名を数える都内屈指の規模を誇っていたというから、今のいぶし銀の町というイメージとはちょっと違う。流行の最先端を行く派手な町だったのだ。
イメージが違うといえば、この写真を撮った兵庫横丁も名前の由来と雰囲気はかなり違う。今では有名なレストランが軒を連ね、グルメな小道というイメージだけれども、名前の由来は旧牛込城の武器兵器の倉庫があった場所だからというもの。グルメもファッションも関係ない、予想の斜め上をゆく由来だった。
2022年6月 町角 東京 | |
路地 神楽坂 石畳 |
No
12293
撮影年月
2022年4月
投稿日
2022年06月11日
更新日
2023年08月12日
撮影場所
神楽坂 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS LOXIA 2/35