神楽坂というと渋い路地の残るかつての花街というイメージが色濃い。飯田橋駅近くから神楽坂を上がっていき、脇に逸れると絡み合うように伸びる路地に料亭があったり、芸者衆の手配や稽古を行う見番があったりして、そのイメージに合致した町並みが広がっている。路地を歩くのが好きな人間にはたまらない町だ。
路地の中には自動車はおろか、人と人がすれ違うのも難しいような細いものもあり、昔からの街割りが残っているのが分かる。しかしながら昔の街割りが残っている神楽坂に、昔の建造物が残っているのかと問われれば、それは否だ。なぜなら神楽坂の辺りも1945年の東京大空襲で、しっかり焼かれてしまっているからだ。
「東京都35区区分地図帖―戦災焼失区域表示」という1985年に復刊された地図帳によると、神楽坂で空襲による焼失を免れたのは三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)と津久戸小学校だけで、辺り一面は焼け野原だったようだ。焼け野原の上に戦前のままの街割りで街を再建したので細い路地は残っているものの、古い建造物は残っていない。神楽坂のシンボルとも言える神楽坂毘沙門天の本堂も戦後にコンクリートで再建されたものだ。
2022年6月 町角 東京 | |
路地 薄暗さ 神楽坂 看板 |
No
12292
撮影年月
2022年4月
投稿日
2022年06月10日
更新日
2023年08月12日
撮影場所
神楽坂 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS LOXIA 2/35