ハノイ(ベトナム)
ハノイ旧市街を歩いていると、絶え間なくバイクの音が耳に届いてくる
ムンバイ(インド)
タクシーのドアの内側に、色褪せた花柄のビニールシートが貼られていた
湾仔(香港)
香港で使われている繁体字は、日本の旧字体と似ているようでいて、時にその違いに戸惑うことも多い
オクトパスカードは、ソニーの「FeliCa」規格を世界で初めて実装した電子決済手段だ
高鉄台中站(台中)
台湾高鉄に乗り込めば、そこにあるのは「日本的」な空間なのだけれど、そこに少し遅れて、旅人としての実感がじわじわと湧いてくる
初めて香港に来たけれど、二階建てトラムを見るといかにも香港という感じがする
エレファンタ島へは片道1時間かかるので、行きは世界遺産への期待で胸が高鳴るものの、帰り道はひたすら着くのを待つばかりだ
ボロボロの漁船が転がる浜辺は漁港というよりも、使命を終えた船たちの墓場のように感じられた
中流階級にとって、四輪車のライドシェアは日常的に利用するにはコストが高く感じられるため、より手頃な二輪車のライドシェアは需要があるのだろう
インドでは1,676mmの広軌が採用されているので、僕には陸橋の上から眺める電車の顔は横に長く見えるのも無理はない
変化というものは、知らないうちに感覚の基準を塗り替えてしまうのだ
ムンバイの鉄道による事故死者が多い理由が分かったような気がした
ピクトグラムのお陰で女性専用車両であることはわかるものの、終日そうなのか、それとも特定の時間帯だけなのかは分からなかった
ムンバイが属するマハーラーシュトラ州では黄色と黒の配色の車はタクシーだ
三崎港(三浦)
南面に浮かぶ城ヶ島が自然の防波堤になって古くから天然の良港として栄えた三崎港のウリはマグロだ
小樽市総合博物館(小樽)
除雪車のフロントガラスに取り付けらた丸いものは目玉のようで、一度そう思ってしまったら、もう顔にしか見えなかった
札幌市中央卸売市場(札幌)
登録すればターレーは公道を走ることも可能なのだけれど、町中でターレーを乗り回している人を見たことはない
三島田町駅(三島)
三島田町駅に入ってきた伊豆箱根鉄道駿豆線の車窓にプラットホームが映り込んでいた
高崎(群馬)
碓氷川はどこに消えた
九品仏駅(奥沢)
人は母語であっても自分が想像する以上のことを理解するのは簡単ではない
小金城趾駅(松戸)
単線の流鉄流山線は小金城趾駅で電車がすれ違う
昌平橋(秋葉原)
かつては駅前も賑わっていた万世橋駅は時代の移り変わりで駅自体がななくなってしまった
東京ミッドタウン(赤坂)
壁に挟まれた細い通路はスロットカーレースのコースのようだった
日本橋(東京)
日本橋川には1882年になるまで正式な名称はなかった
芝浦(東京)
落語芝浜の舞台になった雑魚場は今では高層ビルと線路に囲まれて魚市場らしさはどこにもない
摩周丸(函館)
航行を止めた青函連絡船の甲板は古びてきていた
駒場車庫(函館)
函館市電の駒場車庫は通りからも中の様子を眺められる
函館港西ふ頭(函館)
函館港には海上自衛隊の掃海艇も停泊していた
函館山(函館)
戦前の函館山は軍事機密で地形図にも記載されていなかった
谷地頭停留場(函館)
ターミナル駅である谷地頭停留場は鉄道模型のようにシンプルだった
立川(東京)
空飛ぶクルマの車窓からの景色は、モノレールの車窓から見える景色に近いような気がする
新宿駅(新宿)
海外に行くにはまだまだハードルが高い気がする
銚子駅(銚子)
駅前商店街と同じように、銚子発の特急列車はガラガラだった
外川駅(銚子)
電車の中で車掌の姿を見かけると懐かしく感じるのだった
外川漁港(銚子)
関係者以外は立入禁止になっている外川漁港は閑散していた
売上の8割を副業で稼ぐ銚子電鉄は、もはやお菓子屋と呼ぶほうが相応しいかもしれない
走水漁港(横須賀)
走水漁港に停泊していた漁船の船首にはお守りのような錨
トンビを引き連れて大きな釣り船が走水漁港から出港していった
代田橋駅(大原)
線路に立ち入らない常識と立ち入る常識
大さん橋ターミナル(横浜)
大さん橋ターミナルで客待ちするタクシー
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