日本橋の橋のすぐ上空に首都高速都心環状線の高架が蓋をするかのように架けられているのが話題に上がるのも多い一方で、橋の下に焦点を当てた話題が上がることはあまりない。南北問題ならぬ上下問題だ。橋のところに来た人びとも、高速の高架の隙間に伸びるように鎮座する麒麟の像を見上げる人は多くとも、橋の下に目を向ける人は少ない。確かに水面を撫でるように見渡しても、大正時代までこの辺にあった魚河岸の名残も見つけられないし、高速道路の高架を支える柱が突き出ているだけ。日本橋にまつわる話題はもっぱら上の方に向かったものが多いのだ。
そのような状況の中で日本橋という橋の下を流れる河川の名前さえ分からない人がほとんどではないだろうか。日本橋の下を流れる川の名前は日本橋川という。日本橋川に架かっている橋だから日本橋という橋の名前になったのか、日本橋という橋が架かっている川だから日本橋川という川の名前になったのか判断に悩む名前だ。実は江戸時代には日本橋川に正式な名称はなく、1882年になってから日本橋川が正式名称とされたのだという。つまり江戸時代から存在する橋がずっと先輩で、それにあやかって川の名前を付けたというのが本当のところのようだ。
日本橋の上に立ち止まって地味な日本橋川の水面を眺めると、日本橋船着場からちょうどクルーズ船が離れたところだった。大勢の人を乗せたクルーズ船が日本橋をくぐって東京湾に向かって進んでいこうとしていた。
2023年1月 東京 乗り物 | |
日本橋 柱 河川 船 |
No
12434
撮影年月
2022年10月
投稿日
2023年01月24日
更新日
2023年08月09日
撮影場所
日本橋 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS BATIS 2/40 CF