台北101(台北)
写真を撮る行為そのものは、景色を見る行為と同じくらい個人的なものだ
嘉義駅(嘉義)
何かしらのアナウンスがあるわけでもなく、プラットホームは黄昏の静けさに包まれていた
列車は短い時間停車すると、黄昏の中に溶けるようにして走り去り、再び静寂だけが残った
列車の扉はすべて開いたままで、まるで気怠さに負けて大きなあくびをしているかのようだった
嘉義(台湾)
男の様子に何かしらの自由さと諦めが同居しているように見えた
茶葉の産地として有名な阿里山の麓にあるので、嘉義には茶を売る店が多くあるのだろうと思い込んでいたけれど、それは僕の思い違いだった
盤面を見ると駒が少なくなっているから、勝負は佳境に差し掛かっているようだ
故宮博物院南部院区(嘉義)
今でこそ、西洋にもマイセンやウェッジウッドといった名の知れた陶磁器メーカーがあるけれど、もともとは中国発祥の技術だ
台南駅(台南)
台南駅のプラットホームはとても長いので、途方もなく長い列車がやってきたとしても楽々と停まれるに違いない
水仙宮市場(台南)
シャッターの閉まった水仙宮市場で親子ふたりが我が家でくつろいでいるかのように楽しんでいた
高岩寺(東京)
撫でられている赤ちゃんの顔に言葉にできないような純粋な喜びが浮かんでいた
中西区(台南)
男が工房の中で八仙彩と呼ばれる飾るのれんの刺繍していた
東獄殿(台南)
非科学的ともいえる伝統の占いと最新の電子機器が、ここでは何の矛盾もなく同じ空間を共有している
台湾府城隍廟(台南)
地元の人びとはどの神様に何をお願いするのか、お願いごとの内容に応じて寺院を使い分けているのだろうか
きっと料理がなかなか出てこないことにも、僕がカメラを向けていることにも、少なからずイライラしているのだろう
南勢街西羅殿(台南)
祭祀演劇に出ていた俳優の顔は青く塗られ、大胆なつけ眉毛を付けていた
王冠のような帽子と緑を基調とした模様の組み合わせは、色使いこそ違えど、どこか歌舞伎の隈取を連想させた
ほとんどの男の子にとって、お母さんのすぐ後ろは安心できるポジションだ
中国系の女性は日本の女性よりも全体的に気が強く見えることが多い
忙しく買い物を済ませた男の顔は険しかった
台湾で売られている果物はどれも驚くほど安く、果物好きがこの光景を目にしたら、きっと小躍りするに違いない
細い通路が入り組む市場の中でも、ここは裏通りのようで、市場の表の顔とは異なる別の時間が流れているようだった
次から次へと野菜が放り込まれるビニール袋はあっという間に膨れ上がり、見る間に一杯になった
台湾の市場では日本で見かけない変わった形の包丁を目にする
タウナギの皮は思っている以上に伸びるのだ
台湾では全体的に料理の味付けが控えめな傾向があるから、キムチのような刺激的な味が新鮮なのかもしれない
鴨母寮市場(台南)
台湾の市場では果物の種類の多さと価格の安さに驚かされる
台湾では寿司が人気なので市場で巻きずしを作っている人たちがいるのも特に不思議なことではない
カメラを向けると、老婆は特に動揺することもなく、静かに視線を返してくれた
肉まんをそっと扱う彼女の手つきからは、まるで自分の子どもを世話しているような雰囲気が漂っていた
片手で餡をつまみ、もう片方の手で皮を取り、驚くほどの速さで包んでいく手さばきはまさに熟練の技だった
楽しそうに作られた餃子は、きっと美味しいに違いない
魚屋が鴨母寮市場で黙々と魚を三枚に下ろしていた
人気の魚屋の周囲には活気と忙しさが入り混じった独特の雰囲気が漂っていた
中華文化圏では餃子というと水餃子が主流で、焼き餃子はどちらかと言えば残り物を活用した料理のイメージらしい
餃子が日常的に親しまれている台湾の市場では餃子を作っている光景は決して珍しくない
店先の客たちはが黙々と魚屋の手許を注視していた
鶏に残った産毛を丁寧に取り除くのは、とても地味で気の遠くなるような作業だ
くりくりしたサバヒーの瞳が並んでいるのはシュールな光景だ
家鴨の肉を食べたことはあるけれど、頭が出てきた経験はないものの、こうしてお店に並んでいるということは頭も立派な食材なのだろう
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