台南(台湾)
どこの国でも女の子は話し好きと相場が決まっているような気がする
水仙宮市場(台南)
営業妨害ではないかと思うほど、男は苦々しい顔でレンゲを弱々しく口に運んでいた
煮込み料理と言われるとわかったような気になってしまうものの、滷味の内容を理解するのは難しい
誰もいなくなった水仙宮市場で働く男に、終わりゆく一日の中でやるべきことを終えようとする責任感のようなものを感じた
中正区(台南)
短い瞬間でさえ、情報や連絡を確認しなければ落ち着かない彼女の姿は、いわゆる「スマホ中毒」を思わせるものだった
ハンドルを握っているのは奥さんで、旦那さんは後部座席に座っていた
幼い男の子が真剣な顔で何かをじっと見つめながら、スナックを次々と口に運んでいた
南勢街西羅殿(台南)
どちらも言葉を発することなく、舞台で展開される物語に没頭していた
女の子の靴に描かれたキティちゃんは、どこか無表情で、彼女の没入ぶりとは対照的だった
お楽しみとして演劇が始まるようで、厳かな儀式から一転して、和やかな期待感が漂い始めた
アジアでは手を合わせるという仕草が宗教を超えて「祈り」や「敬意」を示す共通の動作として広く使われているのような気がする
説法が行われていたとはいえ、それは特別に仰々しいものではなく、日常の延長線上にあるような素朴な雰囲気が漂っていた
大勢の参拝客が大きな香炉を囲むようにして立ち、説教とも儀式の一環とも取れる話に耳を傾けていた
八百屋の女性は、そんな静けさの中でも忙しそうで、ゴチャゴチャとした机の端に座り、何かを一心不乱に書き込んでいた
閑散とした市場も、こうして静けさの中で誰かの穏やかな笑顔に出会えるなら、それはそれで悪くないものだと思えてきた
悠然と工場の奥に鎮座している神様だけが、僕の視線に気付いているように思えた
台湾でも花環を送る習慣があるけれど、日本と違って花環は葬儀にのみ使われるのが一般的だ
ビンロウを売るお店の中で若者がスマホを見ながらビンロウを作っていた
ヤンゴン(ミャンマー)
国際社会から経済制裁を受けているにもかかわらず、ヤンゴンの町には果物が溢れていた
列車が完全に停車する前から人々は列車に群がり始め、我先にと車両の中に乗り込もうとする光景が広がった
神農街(台南)
神農老街は台南観光の目玉のひとつだけれど、それほど特別感はなかった
テーブルに頬杖をついていた女性の目はしっかりと閉じられていて、どこか物憂げな表情が印象的だった
映画館に掲げられる看板は、単なる広告ではなく、一つの時代の記憶として刻まれていくように思えた
台湾では跪いてお参りするのが一般的なため、祭壇の前にクッションが用意してある
台南の路地で出会う寺院——静かに祈る人びとの姿
どこかで家を持たずに生きるとしたら、やはり南国のほうがいいのかもしれない
かぼすをギュッと搾る男
崇徳市場(台南)
スクーターに乗った幼い女の子
蛤を売る女性
市場の一角で新聞を読むおじさん
大根餅を焼く女
オーブンの前に立つ男
山盛りのミンチ肉
働く女性の横顔
ニラとモヤシ
捌く女
紫色の手袋をした魚屋
テーブルに着いた人びと
手羽先を切る若者
丸い俎板の上で魚が次々とさばかれていた
人びと
町角
建築
乗り物
動物
静物