鴨母寮市場(台南)
日本ではあまり馴染みがない魚だけれど、虱目魚はこの地で非常にポピュラーな存在だ
可愛らしい色合いが、真剣な表情とのギャップを生んでいた
その仕草と素敵な笑顔が、さらに僕の満足感を増してくれた
女性が手際よく肉圓を作るのを眺めていると、料理が運ばれてくるのを待つ時間があっという間に感じられた
さまざまな野菜が並んでいるだけではなく、果物も扱っており、林檎が整然と並べられていた
大觀音亭(台南)
クッションの上で膝をつき、祈りを捧げている青年を、壁に彫られた龍の装飾がじっと見守っていた
祭壇で背筋を伸ばして経典を読む女性はまるで勉強机で勉強しているかのようだ
台南(台湾)
大量のビニール袋がくくりつけられた光景はまるで、船底にびっしりと貝殻が張り付いているようで、どこか非現実的な印象を受けた
八仙彩と呼ばれる神棚用ののれんを作る女性の手際は驚くほど正確だようだった
自動車が入るにはあまりに狭い路地は自然と静寂を湛えている
老眼の男性が歩道に設置されたベンチで新聞を読んでいた
どこの国でも女の子は話し好きと相場が決まっているような気がする
水仙宮市場(台南)
営業妨害ではないかと思うほど、男は苦々しい顔でレンゲを弱々しく口に運んでいた
煮込み料理と言われるとわかったような気になってしまうものの、滷味の内容を理解するのは難しい
誰もいなくなった水仙宮市場で働く男に、終わりゆく一日の中でやるべきことを終えようとする責任感のようなものを感じた
中正区(台南)
短い瞬間でさえ、情報や連絡を確認しなければ落ち着かない彼女の姿は、いわゆる「スマホ中毒」を思わせるものだった
ハンドルを握っているのは奥さんで、旦那さんは後部座席に座っていた
幼い男の子が真剣な顔で何かをじっと見つめながら、スナックを次々と口に運んでいた
南勢街西羅殿(台南)
どちらも言葉を発することなく、舞台で展開される物語に没頭していた
女の子の靴に描かれたキティちゃんは、どこか無表情で、彼女の没入ぶりとは対照的だった
お楽しみとして演劇が始まるようで、厳かな儀式から一転して、和やかな期待感が漂い始めた
アジアでは手を合わせるという仕草が宗教を超えて「祈り」や「敬意」を示す共通の動作として広く使われているのような気がする
説法が行われていたとはいえ、それは特別に仰々しいものではなく、日常の延長線上にあるような素朴な雰囲気が漂っていた
大勢の参拝客が大きな香炉を囲むようにして立ち、説教とも儀式の一環とも取れる話に耳を傾けていた
八百屋の女性は、そんな静けさの中でも忙しそうで、ゴチャゴチャとした机の端に座り、何かを一心不乱に書き込んでいた
閑散とした市場も、こうして静けさの中で誰かの穏やかな笑顔に出会えるなら、それはそれで悪くないものだと思えてきた
悠然と工場の奥に鎮座している神様だけが、僕の視線に気付いているように思えた
台湾でも花環を送る習慣があるけれど、日本と違って花環は葬儀にのみ使われるのが一般的だ
ビンロウを売るお店の中で若者がスマホを見ながらビンロウを作っていた
ヤンゴン(ミャンマー)
国際社会から経済制裁を受けているにもかかわらず、ヤンゴンの町には果物が溢れていた
列車が完全に停車する前から人々は列車に群がり始め、我先にと車両の中に乗り込もうとする光景が広がった
神農街(台南)
神農老街は台南観光の目玉のひとつだけれど、それほど特別感はなかった
テーブルに頬杖をついていた女性の目はしっかりと閉じられていて、どこか物憂げな表情が印象的だった
映画館に掲げられる看板は、単なる広告ではなく、一つの時代の記憶として刻まれていくように思えた
台湾では跪いてお参りするのが一般的なため、祭壇の前にクッションが用意してある
台南の路地で出会う寺院——静かに祈る人びとの姿
どこかで家を持たずに生きるとしたら、やはり南国のほうがいいのかもしれない
かぼすをギュッと搾る男
崇徳市場(台南)
スクーターに乗った幼い女の子
蛤を売る女性
町角
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