丸の内オアゾ(東京)
日本の年間平均労働時間はドイツと比べるとかなり長いものの、アメリカよりは短い
西郷山公園(東京)
西郷山公園は海を眺めた気になれる不思議な公園だ
銀座(東京)
賑わった銀座の町をサングラスをして帽子をかぶった格好いい女性が歩いていた
東京ドームシティアトラクションズ(東京)
季節は冬で水飛沫を浴びたら寒いのではなかろうかと思うのだけれど、スリルを求める人びとに寒さなんて関係ないようだった
椿山荘(東京)
多くの結婚式が執り行われているようで、館内は華やかな人びとで賑わっていた
護国寺(東京)
1682年に建立された護国寺の本堂は数々の災害や戦禍を乗り越え、江戸時代そのままの姿を今に伝えている
有楽町(東京)
人類はやがて声を使ってコミュニケーションを取ることをやめてしまうのではなかろうか
浅草(東京)
車道を大小さまざまな自動車が行き交い、その隙間を縫うように人力車が走っていた
左手をすっと伸ばして何かを指し示す仕草には、一種の演劇的な優雅さがあった
浅草寺(東京)
立ち上る煙の中に浮かび上がったカップルはどこか夢のような、幻影じみた印象を残していた
渋谷(東京)
立ち止まる彼らが画面の向こうに見ているのは無数の情報なのか、それとも未来の断片なのだろうか
正式名称は「バスケットボールストリート」だったはずだが、その名前を使う人はほとんどいない
中山区(台北)
鮮やかな緑色のフェンスが彼女の陰鬱な気分を浮き彫りにしているようだった
国父紀念館(台北)
早朝の国父紀念館では太極拳をする集団と遭遇できる
国立国父紀念館(台北)
早朝の国父紀念館で中国武術の練習をしている人びとがいた
日本で偶然目にした「中山」と書かれた表札を気に入り、孫文は自らの雅号として使い始めたのだという
かつて大勢いた社交ダンスをする人びとの姿はなく、社交ダンスのブームは台北から完全に過ぎ去ってしまったらしい
寧夏夜市(台北)
台湾のジューススタンドのメニューは豊富なので、迷った結果、いつも同じものを頼んでしまう罠が仕掛けられている
寧夏夜市には所狭しと屋台が並び、多種多様な食べ物が売られている
夜市に腕時計を買いに訪れる人はあまりいないから店主の男性は暇そうだった
賑やかな寧夏夜市の片隅で女性がスマホの画面に見入っていた
他の人が食べている物は美味しそうで、見て歩いているだけでお腹が減ってきてしまう
大同区(台北)
ひとたび信号が赤に変わると、多くのバイクが信号待ちを始めるのだった
迪化街(台北)
この店に客が入ってこない理由のひとつは彼女の陰鬱な表情のせいなのかもしれない
食堂のテーブルに腰掛けた男には耳にしたくない話題を避けているような雰囲気が漂っていた
台湾の食文化は豊かで選べる料理はたくさんあるのに、困ったことに僕の胃袋はひとつしかない
何を買うか思案している時間は、それを実際に手にして食べる時間よりも至福なのかもしれない
これだけの冥銭必要だというのは、それだけ中華文明の人びとにとってお金が重要なのだろう
ただそこに立ち尽くすことしかできない無言の時間が流れる中で、人々はそれぞれの思考や感覚の中に沈んでいるようだった
台北101(台北)
写真を撮る行為そのものは、景色を見る行為と同じくらい個人的なものだ
嘉義駅(嘉義)
何かしらのアナウンスがあるわけでもなく、プラットホームは黄昏の静けさに包まれていた
列車は短い時間停車すると、黄昏の中に溶けるようにして走り去り、再び静寂だけが残った
列車の扉はすべて開いたままで、まるで気怠さに負けて大きなあくびをしているかのようだった
嘉義(台湾)
男の様子に何かしらの自由さと諦めが同居しているように見えた
茶葉の産地として有名な阿里山の麓にあるので、嘉義には茶を売る店が多くあるのだろうと思い込んでいたけれど、それは僕の思い違いだった
盤面を見ると駒が少なくなっているから、勝負は佳境に差し掛かっているようだ
故宮博物院南部院区(嘉義)
今でこそ、西洋にもマイセンやウェッジウッドといった名の知れた陶磁器メーカーがあるけれど、もともとは中国発祥の技術だ
台南駅(台南)
台南駅のプラットホームはとても長いので、途方もなく長い列車がやってきたとしても楽々と停まれるに違いない
水仙宮市場(台南)
シャッターの閉まった水仙宮市場で親子ふたりが我が家でくつろいでいるかのように楽しんでいた
高岩寺(東京)
撫でられている赤ちゃんの顔に言葉にできないような純粋な喜びが浮かんでいた
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