バーンルアン(バンコク)
集落で運河に架かる橋はどれも狭く、自動車は渡れない橋ばかりだった
バーンルアンという小さな集落はレトロな雰囲気を売りにした観光地だった
トンブリー区(バンコク)
電線の行き交う路地で麦わら帽子をかぶった男が買い物していた
ラックムアン(バンコク)
町の守護神に捧げるラックムアンという黄金の柱を立てたのはラーマ1世だ
クロントゥーイ市場(バンコク)
クロントゥーイ市場に通路の真ん中に置かれたかごは市場で働くクーリエが荷を入れて運ぶものだ
帽子をかぶって目立つオレンジ色のベストを着ている人たちはゴミの清掃人ではなく、クーリエだ
テーブルが捌かれたばかりの新鮮な肉で埋め尽くされていたけれど、あまり蝿がいなかった
バンコク(タイ)
まるで時間が止まってしまったかのような路地で、唯一動いていたのはテーブルで書き物をしている女性の手だけだった
キャンベルのスープ缶と紛らわしい配色の缶は、カーネーションという会社の缶入り牛乳だった
ポーンプラープ区(バンコク)
観光名所になっていないポーンプラープ区の路地の奥に、人気の食堂があった
セーンセープ運河沿いに建つ民家に干してあった洗濯物がはためいていた
ワット・サケット(バンコク)
アユタヤ時代からあるワット・サケットの縁起はよく分からないらしい
バンコクには高層ビルももちろん建っているのだけれど、ワット・サケットの周囲には近代的な高層ビルは建っていない
プラナコーン区(バンコク)
太陽が燦々と降り注ぐ道よりも、ちょっと陰気な道の方を自然と選んで歩いてしまうのは僕の性なのだろう
サムパッタウォン区(バンコク)
路地にストライプの大きな傘が現れた
ワット・マンコン・カマラワート近くのチャイナタウンには中華食材を売っているお店が多い
ワット・マンコン・カマラワート(バンコク)
境内に貼られたテントの下に置かれたテーブルがお供え物でいっぱいになっていた
チャイナタウン(バンコク)
ヤワラート通りに牌楼という門が建てられていた
バンコクには運河が張り巡らされていて、かつては多くの船が行き来していたものの今では船が行き来することはほとんどない
なぜだか路地の鏡に鏡がかけられていた
売られていた古着はスターバックスのコーヒー一杯よりもずっと安かった
品川(東京)
鮮やかな黄色の傘を差した男がくすんだ道を光を放ちながら歩いているようだった
田端(東京)
世の中が商業主義に塗れているからこそ、少なくとも自然くらいは強欲な資本主義からは離れたところにあって欲しい
高架の上を走る新幹線は地表を歩く通行人の目から隠れたところを駆け抜けていくのだ
昔ながらの商店街にある魚屋の佇まいはやはり昭和の薫りがするものだった
藤沢(神奈川)
薄暗い外を歩いている時にはシルエットになっている人びとも、光の中に入るやいなやそれぞれの色彩を取り戻していた
大船(神奈川)
ぱっと見たところ山の向こう側に巨人が立っているように見えてしまう。まるで侵略しにやって来たような、進撃の巨人のような雰囲気だ
千住(東京)
旧日光街道沿いで昔ながらの洋品店が営業していた
千住神社(東京)
歴史のある千住神社の参道には誰もおらず、閑散としていた
かなり蛇行した路地だったから、ここはかつて川だった場所なのかもしれない
東京国際フォーラム(東京)
催事場の騒々しさとは裏腹にカフェのは静かで、誰も彼もがじっとしていた
横須賀中央駅(神奈川)
横須賀中央駅で鮮やかな赤いスカートとピンヒールをまとった女性も電車を待っていた
横須賀(神奈川)
「乳酸発酵食 ロッケくん」という名前のお店が気になる
日本橋(東京)
石造りの立派な日本橋も今では高速道路の下になってしまい、威厳がなくなってしまっているから、麒麟の像くらいしか見どころがない
渋谷氷川神社(東京)
木々に挟まれた参道の向こうには鳥居が立っていて、その反対側をバスが走っていた
新宿大ガード(東京)
新宿大ガードはごちゃごちゃした歌舞伎町と整理整頓された副都心を分け隔てるためにあるかのようだった
西小山(東京)
予想以上に長い商店街の最後の方にあった洋品店がセールを行っていた
皇居(東京)
江戸城が築城されるまで乾濠は天然の川で、千鳥ヶ淵から続く自然の谷戸地形に水をせき止めて濠にしたのだという
江戸城本丸天守台のすぐ後ろに「北桔橋門」という小さな門がある
丸の内(東京)
建設現場は白いフェンスで覆われることが多いけれど、中の見える透明なフェンスだったら楽しくなるのに
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