ヤンゴン(ミャンマー)
線路脇に散乱したビニール袋を乗客が身を乗り出して眺めていた
パーヤ・ラン駅(ヤンゴン)
プラットホームにある屋台は賑わっていた
自転車タクシーには本体の横にサイドカーのようなものが取り付けられていている
串揚げの串は鍋の周りに並べられていて、あとは肝心要の客が来るのを待つだけになっていた
マーハーバンデゥーラ(ヤンゴン)
マーハーバンデゥーラという通りの名前は実在したビルマ王国軍の最高司令官だった人物に由来している
ダウンタウンにはイギリス統治時代に建てられた荘厳な建物が多く残っているけれど、クリケットをプレーするという習慣はどうやら根付かなかったようだ
ダラ(ミャンマー)
ヤンゴン川のあちらこちらに小さな漁船が浮かんでいた
浮輪代わりに発泡スチロールの塊を抱えて、こっそり漁船に近づく男の子たちは忍びの者のようだった
乗ったときは自転車タクシーを降りる時に料金で揉めることになるなんて、夢にも思っていなかった
今では不思議なことだけれど、かつてミャンマーはイギリス領インド帝国の一部だった
スーレー・パゴダ(ヤンゴン)
メジャーな観光地でもあるスーレー・パゴダはラウンドアバウトの真ん中にある島の上に建てられている
昼食時だったので、女性たちが仲良く屋台で昼食を摂っていた
ミャンマーでも、この女性のように頭上に物を載せて運んでいる人は多い
鮮やかな紫色をした傘の骨がひとつ折れているのはご愛嬌に違いない
露店のテーブルに並べられた野菜は長い茎の先端に小さなが花が付いていて、菜の花のようだった
沖縄でチラガーといって、豚の顔皮も食すようにミャンマーの人も豚の顔皮を食すようだ
まだ午前中だったけれど、車夫が愛車の上に横になって寝ていた
ミャンマー国民は本の虫だと思っていたけれど、実は本よりも動画などのコンテンツの方がずっとお好みだった
スーレー・パヤー(ヤンゴン)
果物売りが並ぶ道の先でスーレー・パゴダが夜空に輝いていた
渋谷(東京)
渋谷は谷に作られている町で、ちょうどJR渋谷駅がある辺りが谷底だ
新丸の内ビルディング(東京)
静寂に包まれた通路には都会の薄汚れた感じが見当たらず、どこからからストームトルーパーが現れてくるのではないかと錯覚を持ってしまうくらいだ
向島(東京)
今では向島と聞いて繁華街と思う人はほとんどいないだろう
渋谷駅(東京)
岡本太郎の壁画を眺める人は少ないけれど、渋谷のスクランブル交差点を眺める人は多い
マーチエキュート万世橋(東京)
マーチエキュート神田万世橋は、かつて存在した万世橋駅の跡地に設けられている
東京ビルディング(東京)
日頃は大勢の人で賑わっている東京ビルディングのエントランスホールも閑散としていた
大手町(東京)
江戸幕府が開かれて江戸湾の埋め立てが始まるまで、丸の内や日比谷と同じように大手町も入江だったところだ
中目黒(東京)
看板の中の女性は人差し指を口に当てていて、訪れた人たちに向かって、静かに鑑賞するように伝えているかのようだった
明治神宮御苑(東京)
御苑と聞くと、新宿御苑を思い浮かべてしまうけれど、明治神宮御苑は別の御苑だ
靖国神社(東京)
大村益次郎には靖国神社の参拝が国際問題になるなんて想像もつかなかっただろう
タカシマヤタイムズスクエア(東京)
日本最大級の規模を誇る本屋さんだったのに、いつの間にか洋書専門店になってしまった
新宿(東京)
ほとんどの人が新宿通りから大道芸人がいなくなってしまったことなど、気に留めていないかもしれない
東京スクエアガーデン(東京)
京橋という地名の由来となった橋はおろか、その橋が架けられていた川も今ではなくなっている
赤坂氷川神社(東京)
赤坂氷川神社の参道は、赤坂にあるとは思えないくらい落ち着いた雰囲気だった
カオサン通り(バンコク)
オープンカフェやオープンレストランが軒を連ねるカオサン通りは、タイはおろか東南アジア随一の安宿街だった
バンコク(タイ)
砦の内側にある辺りは昔からある町並みのようで、道が碁盤の目になっていないし、どこかに通じているのかも判然としない
トンブリー駅(バンコク)
2016年の世界保健機関の統計によると、タイでは男性の喫煙率は41.4%で女性の喫煙率は2.3%となっている
名前も分からないような小さな運河の横で男がぐっすり寝ていた
セントラルワールド(バンコク)
セントラルワールドのあちらこちらに置かれているアート作品にタイらしさはあまりない
歩道橋の屋根に目の大きな不思議な生き物が描かれていて、その先に国王の肖像が掲げれていた
一箇所だけトタン板がめくれていたところをのぞくと、プラスチック製の盥と籠が無造作に置かれていて赤ちゃんが遊んでいた
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