内堀通りから皇居に向かって内堀の中に細い道が伸びている。これを境にして向かって右の内堀が牛ヶ淵、左側が清水濠だ。細い道の先に進むと清水門橋という小さな橋が架かっていて、それを渡ると1658年に建てられた清水門が待ち構えている。
清水門は地味な門だ。くぐって中に入ると北の丸公園があるだけで、この門を通り抜ける人もそれほど多くなく、今となってはここに門が構えている必要性は全く無い。しかしながら公園の敷地はかつて御三卿の田安徳川家と清水徳川家が上屋敷を構えていたところ。この門をくぐると江戸城の中だったのだ。
そのため地味な清水門も敵に攻められた時のことを考慮して造られている。江戸城を囲む石垣の中に造られた門(一の門)の手前に空間を設け、城内に入るには一度直角に曲がらなければならないようになっている。敵が直線的に門に迫ってこられないようになっているのだ。さらにその空間の手前にも門(二の門)を設け、門と門の間にある空間で味方は準備できるし、万が一敵が入ってきてもここで挟み撃ちできるようになっている。このような形の門を枡形という。この写真でいうと、手前に見える高麗門が二の門で奥に小さく見える渡櫓門が一の門だ。
城が攻められた時のことを考えて造られている清水門も攻城戦の舞台になったことは一度もない。江戸時代を通じて、江戸城が攻められたことがないのだから仕方がない。戦歴のない地味な清水門のハイライトは、1862年に公武合体政策によって京都から皇女和宮が第14代将軍・徳川家茂に輿入れした際にこの門から入輿した時だと思う。
2021年8月 建築 東京 | |
城郭 門 北の丸公園 |
No
12015
撮影年月
2021年2月
投稿日
2021年08月31日
更新日
2023年08月18日
撮影場所
北の丸公園 / 東京
ジャンル
建築写真
カメラ
RICOH GR III