現在、47の都道府県に分けられている日本は、律令制の時代には68の国に分けられていた。令制国だ。大宝律令が制定された701年から、1871年に廃藩置県が実施されるまでの1200年近くの間、用いられ続けられた行政区分だ。驚くべきことに、令制国の改廃が行われたのは奈良時代までと明治以降だけ。平安時代から江戸時代の長い期間にわたって変更されなかったのだから、令制国の分け方がよほど実態に合っていたのだろう。
律令国と都道府県なら、それほど数が違わないので難しくないものの、ここに幕藩体制が追加されると俄然話は難しくなってくる。なにせ江戸時代には300くらいの藩が存在していた。今現在地球上に存在する国家の数よりも多い藩が、この狭い日本に存在していたのだ。例えば、令制国で言うところの下総の一部と上総、安房からなっている千葉には17もの藩がひしめき合っていた。この日に訪れた佐倉市は、今では単なる千葉県の一市町村だけれども、かつては立派なひとつの藩だったところ。お城があって、殿様がいたのだ。旧堀田家住宅はその佐倉藩最後のお殿様が明治時代に建てた邸宅だ。広々とした客座敷から外に目を向けると、いい枝ぶりの木が窓いっぱいに枝を伸ばして自己主張していた。
2023年4月 建築 千葉 | |
枝 佐倉 木 窓 |
No
12478
撮影年月
2023年1月
投稿日
2023年04月13日
更新日
2023年08月08日
撮影場所
佐倉 / 千葉
ジャンル
建築写真
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS BATIS 1.8/85