清澄白河駅の近くに清澄庭園という回遊式築山林泉庭園がある。伝説的な豪商紀伊國屋文左衛門の屋敷だったとも伝えられているところで、享保年間に下総関宿藩主・久世氏の下屋敷となり、古地図を見ると江戸末期には既に庭園が設けられていた模様。しかし回遊式築山林泉庭園として完成したのは、1878年に三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取ったあとのことだ。
関東大震災後の1924年に三菱3代目社長の岩崎久弥が庭園の東半分を公園用地として東京に寄贈したのが現在の清澄庭園の始まりだ。中には大きな池があり、数寄屋造りの建築物があり、岩崎家が全国から集めたという名石があちらこちらに配置されていて、東京都の名勝にも指定されている。
ここで気になるのは1924年に岩崎久弥が東京に寄贈しなかった西半分だ。最終的には西半分も東京に寄贈されるのだけれど、再び清澄庭園と一緒になることはなかった。西半分は清澄庭園とは別の清澄公園として一般公開されている。清澄庭園と清澄公園。知らなければ同じものだと思うだろう。確かにふたつは隣り合っている。でも清澄庭園はお金を払わないと入れない有料の庭園なのに対し、清澄公園は誰でも入れる公園だ。
ふと考えると清澄庭園には行ったことがあるものの、清澄公園には行ったことがなかった。そこで行ってみた。清澄公園は何の変哲もない公園だった。乳母車に幼子を乗せたお母さんたちがいて、暇そうな老人たちがいて、近所の幼稚園の園児たちがいた。特に見どころもない公園を一周して、公園の外に出たのは黄色の帽子をかぶった園児たちと同じタイミングだった。
2021年8月 人びと 東京 | |
帽子 こども 清澄 黄色 |
No
12006
撮影年月
2021年2月
投稿日
2021年08月22日
更新日
2024年06月27日
撮影場所
清澄公園 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS BATIS 2/40 CF