ムンバイ(インド)
多くの露天商が店を開いていて、歩道は市場のようになっていた
スマホの普及率を考えると、まだ村人のほとんどがスマホを持っていないような村も存在するに違いない
人口1000万人を超える大都市の歩道には何をしているわけでもなく、ただ往来を眺めている人たちが少なからずいる
銀座(東京)
銀座は江戸時代に銀貨の鋳造と銀地金の売買を担った銀座役所がこの地に置かれたことに端を発している
コロナ禍に飲み込まれた銀座の中央通りは人通りもまばらだった
ジャカルタ(インドネシア)
イスラム教が主流の国で偶像である絵画は人気がないような気がしていたけれど、ジャカルタは例外なのかもしれない
ハヤム・ウルク通りの屋根のついた歩道は過ごすのに適しているようで、大勢の人が腰を下りしていた
サワブサール駅(ジャカルタ)
ジャカルタのサワブサール駅の周辺には商業施設が建ち並んでいる訳でもなく、普通のビルが並んでいるだけだった
サワー・ブサル地区(ジャカルタ)
ギャラリーが立ち並んでいる歩道にある日陰で2匹の猫がゆったりとしていた
ジャカルタ大聖堂(ジャカルタ)
インドではガスボンベは赤いものが多かったような気がするけれど、インドネシアでは緑色のガスボンベが多い気がする
タマン・サリ地区(ジャカルタ)
ケトプラックは米をおはぎ状にかため、もやしやココナッツミルク、唐辛子などを混ぜて食べるジャカルタのローカルフードだ
グロドック(ジャカルタ)
マレー半島にいる華僑と違って、インドネシア土着の中国人をあ表す「海峡華人」のような言葉は使われない
ハヤム・ウルク通り(ジャカルタ)
歩道に並べられた作品を見ると肖像画が人気のようで、バリ島のように神話の世界を描いた作品は少なかった
古銭商の店先に沢山並んでいたので、第二次世界大戦末期の日本軍はかなりの量の軍票を発行したのだろう
メークロン(タイ)
ガイドブックを開いても、メークロンのページには線路市場以外のことは何も書かれていない
雙連駅(台北)
建物の一階部分が凹んで歩道になっていると、歩いても日差しを避けられて快適だ
汐留(東京)
音を立てずにビルとビルの間を走るゆりかもめを見ていると、なんだか近未来にやって来たような気がする
日本橋高島屋(日本橋)
老舗百貨店の前の歩道は、店内と同じように閑散としていた
新宿(東京)
気が付くと広くなった歩道の端に小さな宝くじを売る小屋が出現していた
ヤンゴン(ミャンマー)
煙草を吹かす男の前を頭上に鍋を載せた女性が通り過ぎていった
通りに出ていた屋台でランブータンと釈迦頭が売られていた
ふたりの男が真剣な顔で前に置かれた市松模様のボードを見詰めていた
バンコク(タイ)
チャオプラヤー川のデルタ地帯に築かれたバンコクには坂というものがほとんどない
プレーン・プートン通り(バンコク)
プレーン・プートン通りは昔の町並みが残っているところだけれど、歩いている観光客はほとんどいない
サムパッタウォン区(バンコク)
ほとんどのお店がシャッターを下ろしている通りでは警備員もやることは何もないのだ
みな椅子にしっかりと腰を下ろして話し込んでいて、歩道は地元の社交場になっていた
ポーンプラープ区(バンコク)
女性の怠惰なムードはこの歩道にぴったり合っていた
プラナコーン区(バンコク)
公共空間のはずなのに誰かの家のリビングのような雰囲気を醸し出していた
喪服を着た人びとが歩道を占拠していた
浅草(東京)
道の向こうの日溜り
聖橋(御茶ノ水)
黒い帽子をかぶった男がベビーカーを押していた
クアラルンプール(マレーシア)
歩道に置いた新聞
束草(韓国)
路上で野菜を売る女たち
コルカタ(インド)
歩道の人々
歩道のタイプライター
プネー(インド)
人気スポーツであるクリケットは都会の歩道で興じる子どもたちもいる
道端に設けられた荷降ろし場では腰を下ろして書類仕事する男の姿もあった
渋谷(東京)
歩道の傘
雨が降っていた
道行く男
バナナ
男の子
女の子
橋
壁
広場