教科書にも載っていて、名前は聞いたことがあったものの、どこにあるのかは知らなかった。一風変わった名前なので、東京から遠く離れたところにあるのだと漠然と感じていたフシもある。そんな登呂遺跡は、実際には静岡市内に存在していた。登呂は静岡市内の地名だったのだ。
登呂遺跡は弥生時代の水田遺構が日本で初めて確認された遺跡で、弥生時代=水田稲作というイメージが定着する契機ともなった遺跡だ。だから教科書にも載っていて、僕も耳にしたことがあったのだ。8万平方メートルを超える水田跡が発掘された登呂遺跡は、今は公園として整備され、復元水田と復元建物群が往時の様子を今に伝えている。出土品も隣接する登呂博物館で見学可能だ。
写真の高床式の建物は、登呂遺跡に復元されている建造物のひとつだ。高床式の倉庫かと思いきや、これは倉庫ではなく、祭殿なのだという。実際に建っていたものは木造なので朽ちてしまって残っていない。そのような中、どうやって倉庫ではなく祭殿だと判断を下せたのだろうか。気になる。
2024年7月 建築 静岡 | |
バック・ショット 遺跡 静岡市 |
No
12608
撮影年月
2023年11月
投稿日
2024年07月06日
更新日
2024年07月24日
撮影場所
静岡市 / 静岡
ジャンル
建築写真
カメラ
SONY ALPHA 7R V
レンズ
ZEISS BATIS 2/40 CF