現在明治神宮の境内は、江戸時代の終わりには彦根藩主・井伊家の下屋敷だったところだ。井伊家とは桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼を輩出したあの井伊家のこと。譜代大名の中で最大の石高を誇った井伊家は下屋敷でさえ、広大な敷地を有していた。しかも、ここが下屋敷だったということは、藩主が居住していた上屋敷はここ下屋敷とは別にあったということ。井伊家の上屋敷は今の国会前庭・北庭・憲政記念会館一帯にあったのだ。
井伊家の上屋敷から勤務地であった江戸城は目と鼻の先。江戸城の入り口になる桜田門までは500メートルもない。しかも、井伊直弼はこの短い通勤経路を移動するのに総勢60人の護衛を付けていたという。普通に考えたら、大勢の護衛を伴ったわずかな移動だから不意の襲撃があったとしても成功するとは考えづらい。でも、実際には成功してしまった。彦根藩の護衛が油断しきっていたからなのか、襲撃側の水戸藩士たちの気合いがすごかったからなのか、はたまたその両方なのかはわからない。いずれにしても、この事件で幕府の権威が大きく失墜すると同時に、文久期以降の尊王攘夷運動が激化する端緒になったのだった。
2023年4月 町角 東京 | |
門 原宿 明治神宮 神社 |
No
12484
撮影年月
2023年2月
投稿日
2023年04月25日
更新日
2023年08月08日
撮影場所
原宿 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
ZEISS BATIS 2/40 CF