かつてはその名が示す通り池があったところを自動車が我が物顔で走り抜けていた。週末だったので交通量は少ない。その分、外堀通りを走る自動車は心地よさそうに疾走していた。僕は外堀通りが溜池だった昔に思いを馳せる。池の畔に立つ大きな鳥居をくぐって神社に向かう参拝客の姿は絵になるものだったに違いないし、そこから神聖な山に入ろうとした人びとも格別な気分になったのだと思う。
この地に日枝神社が遷座してきたのは1659年のことで、それまでは肥前国島原藩の初代藩主松平忠房の邸宅だったと言われている。さらに時代を遡っていくと、今現在日枝神社のある一帯は星ヶ岡城という城郭だったらしい。ザ・キャピトルホテル東急のあるところが主郭で、日枝神社のところがに二郭、日比谷高校のところが三郭だったようだ。確かにこの辺りを地図で見てみると、台地の先端にあって城郭にするのに向いているようにも思える。神社の北側には土塁と思しき遺構も残っているという。
とはいえ、城郭だった名残はほとんど残っておらず、記録も乏しい。星ヶ岡城は謎に包まれているらしい。こんなに昔から江戸市中だった場所でも土地の由来がわからなくなるなんて、人間の残す記録はなんてあやふやなものなのだろう。
2024年6月 町角 東京 | |
永田町 影 シルエット 階段 |
No
12600
撮影年月
2023年10月
投稿日
2024年06月16日
更新日
2024年07月05日
撮影場所
永田町 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R V
レンズ
ZEISS BATIS 2/40 CF