ハノイの街角で発生した名もなき野次馬の群れは、一向に減る気配を見せなかった。興味本位でチラッと眺めては過ぎ去っていく者もいる。しかし、そのまま立ち止まって立派な野次馬に変身し、人だかりに加わる者の方が多い。結果として、群集の数はじわじわと膨れ上がっているようだった。路上で突発的に発生した何らかの事件は、彼らにとって代わり映えしない日常に投じられた、一服の清涼剤のようなものなのだろう。
その日常の清涼剤を前にしても、あっさりと通り過ぎていく手合いもいる。友人と二人乗りをしたスクーターで現れた、写真の女の子がまさにそのタイプであった。彼女は野次馬の塊を認めるや否や、口を大きく開けてひどくビックリしたような、絵に描いたような驚愕の表情を作ってみせた。しかし、わざわざバイクを停めて事の顛末を見届けるような真似はしない。人混みの脇を器用にすり抜けて、そのまま走り去っていったのである。ベトナムではバイクが普及しており、人びとの足として常にせわしなく街を駆け回っている。彼女にとってもこの騒動は、一瞬の顔の体操以上の価値はなかったらしい。
彼女があっさりと走り去っていったのとは対照的に、翻って僕はどうかというと、図々しくも野次馬の末席にしっかりと加わっていた。そこで一体何が起こっているのか、ちっとも分かっていないのにも関わらずである。何やら揉め事が起こっているらしい、ということだけはわかる。しかし、真相については完全に蚊帳の外だ。それなのに、ワチャワチャと蠢く人混みの中で、いっぱしの記録者のような顔をしてカメラを構えていた。大勢の人間が口々にわめき散らしているのだから、事の顛末に至るヒントは空中を飛び交っているはずである。だが、厄介な6つの声調を持つベトナム語を一切理解できない僕の耳には、ただの喧しいノイズにしか聞こえない。ヒントのシャワーを浴びながら何一つ事態を把握できないまま、僕は所在なくシャッターを切り続けていた。
| 2026年4月 人びと ベトナム | |
| 女の子 眼鏡 ハノイ ヘルメット ロングヘア バイク 口 |
No
12897
撮影年月
2025年3月
投稿日
2026年04月03日
撮影場所
ハノイ / ベトナム
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R V
レンズ
ZEISS BATIS 2/40 CF