歌舞伎町(東京)
のんきに餌を食べる姿は危険や不穏な雰囲気を微塵も感じさせなかった
中目黒(東京)
薄暗いプラットホームだけを見ていると、まるで地下鉄の駅にいるような錯覚を覚えた
静かで落ち着いた空気が漂っている路地に、場違いのようなオープンカーが停まっていた
西郷山公園(東京)
西郷山公園は海を眺めた気になれる不思議な公園だ
銀座(東京)
賑わった銀座の町をサングラスをして帽子をかぶった格好いい女性が歩いていた
東京スクエアガーデン(東京)
誰も喋らなず静かに動くエスカレータを眺めていると、なんだか無声映画を見ているような気がした
日本橋(東京)
上半身はかなり前のめりになっているのだけれど、肝心の脚は上半身に遅れを取っていた
日向と日陰のまだら模様の中でシルエットのようになった人もいれば、スポットライトを浴びたように輝いている人もいた
飲み屋街に降り注ぐ明るい太陽はどこか場違いに思えた
路地に駐められた配達用のスーパーカブを眺めていると時間が停まっているかのような錯覚に陥る
新しい店が生まれ、古い店が消えていく光景に、「諸行無常」の趣を感じずにはいられない
東京ドームシティアトラクションズ(東京)
季節は冬で水飛沫を浴びたら寒いのではなかろうかと思うのだけれど、スリルを求める人びとに寒さなんて関係ないようだった
文京シビックセンター(東京)
文京シビックセンターの展望台から眺めると、スカイツリーのそのずば抜けた高さを感じられる
道の両脇だけでなく、その奥にも建物がびっしりと並び、地面は人工の構造物で埋め尽くされていた
文京区の区役所である文京シビックセンターの25階には無料の展望ラウンジもある
東大本郷キャンパス(東京)
匿名だったため、生前は安田講堂が安田善次郎の寄付とは知られていなかったのだという
その数の多さを見るに、東大の本郷キャンパスを設計した人物はアーチという形に並々ならぬ愛着があったに違いない
東京大学史料編纂所の玄関先にイオニア式の柱に支えられたアーチが連なっていた
椿山荘(東京)
多くの結婚式が執り行われているようで、館内は華やかな人びとで賑わっていた
正八幡神社(東京)
住宅街に囲まれた正八幡神社はカラフルな葉っぱに包容されていた
目白台(東京)
古本屋の店頭に古い週刊文春がいくつも並べられていた
富士見坂(東京)
坂の先に見えるのは高層のビル群ばかりで、かつての眺望は名前にわずかな名残を留めているだけだった
護国寺(東京)
こんなに目立つ場所にいると、天敵に狙われるのではないかと思ってしまうけど、天敵がいないから大丈夫なのだろう
真っ直ぐに伸びる護国寺の参道に二つの人影が現れた
護国寺境内に鎮座する仏像はそれぞれ違う方向を向いていた
本堂の木製の階段にできた日溜りの中で、猫が気持ちよさそうに昼寝をしていた
1682年に建立された護国寺の本堂は数々の災害や戦禍を乗り越え、江戸時代そのままの姿を今に伝えている
狭い一角に集められた石燈籠の周囲は塀で囲まれており、近くに寄ることはできないようになっていた
不老門の扁額は世が世なら第16代将軍になっていた徳川家達によるものだ
仏法を護る力はあっても、自らの体を鳩や他の鳥たちから守る術はないようで、増長天は金網でしっかりと覆われていた
有楽町(東京)
人類はやがて声を使ってコミュニケーションを取ることをやめてしまうのではなかろうか
新橋駅(東京)
あたかも電車が来たという合図が、忘却の底に沈んでいた何かを掘り起こしたかのように頭を掻き始めた
浜松町駅(東京)
窓に書かれた外国語が何語なのかさえ僕には分からないけれど、その無知がむしろ妙な安心感を生み出す
浜松町(東京)
遠くに出口の明かりが見えなかったなら、この暗がりに身を預ける勇気はおそらく湧かなかっただろう
浅草(東京)
車道を大小さまざまな自動車が行き交い、その隙間を縫うように人力車が走っていた
雷門(東京)
東京観光の目玉である雷門の周囲はいつだって混雑している
影の間に挟まれた小さな日向はまるで周囲から切り取られた一片の舞台のようだった
人力車は外国人にとっては異国情緒を味わう手段であり、日本人にとっては郷愁を誘う乗り物なのだろう
左手をすっと伸ばして何かを指し示す仕草には、一種の演劇的な優雅さがあった
浅草寺(東京)
立ち上る煙の中に浮かび上がったカップルはどこか夢のような、幻影じみた印象を残していた
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