佃大橋(東京)
頭上には青空が広がっていて、佃大橋の下流に架かる勝鬨橋もよく見えた
波除於咲稲荷大明神(東京)
波除於咲稲荷大明神という神社は大明神という大袈裟な名前とは裏腹にとても小さな神社だった
増上寺(東京)
長い歴史を誇っている増上寺だけれど、大殿は1974年に再建されたものなので新しく見える
旧台徳院霊廟惣門(東京)
二代将軍徳川秀忠の霊廟だった台徳院霊廟の惣門は、今ではザ・プリンス パークタワー東京の入口のようになっている
第2代将軍徳川秀忠の霊廟は空襲で破壊されてしまって、今では総門が残っているだけだ
田町(東京)
真っ赤で窓がひとつもない高い壁は街並みの中で目を惹く存在だ
大通りの信号はなかなか青には変わらず、三人の女性は手持ち無沙汰で走り去っていく往来を眺めていた
武蔵小山(東京)
お店の人の姿は見当たらず、がんもどきだけがが豆腐店であることを静かに主張していた
御徒町(東京)
第二次世界大戦中に空爆を受けて焦土になってしまったこの土地に、闇市が立ったのが今イメージするアメ横の発祥なのだそうだ
上野公園(東京)
三脚を立てた女性を見かけて、もう長いこと三脚を使って写真を撮っていないなと思った
アメヤ横丁(東京)
女の子は街並みに興味津々で、ベビーカーの上で身を乗り出しながら周囲を見回していた
集まってきた人びとは思い思いに写真を撮っており、その中にコーヒーカップを片手に自撮りをしている女の子もいた
上野公園にはいくつもの美術館や博物館があるが、今日ここを訪れているほとんどの人の目的は芸術鑑賞ではなかった
上野(東京)
よほど地面の様子が気になるようで、男の子は地面を見つめながら歩いていた
品川(東京)
女の子がお母さんの広げた腕の中に飛び込んでいた
渋谷(東京)
JRのガード下は半円形のJRのガード下には電灯も設置されていないので昼間でも薄暗い
西武百貨店に方にあるスクランブル交差点も負けてはいない
「音楽なくして人生なし」と書かれた黄色い看板が掲げられていた
上野駅(東京)
これから旅行に行くのか、それとも旅先から帰ってきたところなのか分からないけれど楽しそうだった
稲荷町駅(東京)
日本最初の地下鉄である銀座線には古くて狭い駅が多い
市谷亀岡八幡宮(東京)
保食神という神様が祀られているのは少し珍しい気がした
拝殿の扉が開いていて、中に御幣が立ててあるのが見えた
靖国神社(東京)
下馬とか下乗の作法は思いの外昔からあり、破った人間は笞罪に処せられたらしい
愛宕神社にある出世の階段が急峻なことで有名だが、市谷亀岡八幡宮の階段も負けていない
建国記念日は初代天皇とされる神武天皇が紀元前660年に即位したと伝えられている日を記念している
飯田橋(東京)
大勢の歩行者たちが白線の上を影を引き連れて歩いていた
浅草橋(東京)
タグボートはどこかに急ぐようにさざ波を立てながら進んでいた
銀杏岡八幡神社(東京)
銀杏岡八幡神社の狛犬は神気当たりしてしまったかのように目を見開いていた
おかず横丁(東京)
おかず横丁という名前に惹かれてやって来ると、少し拍子抜けするかもしれない
柳橋(東京)
柳橋は目立たない小さな橋だが、関東大震災の復興事業の一環として築かれた頑丈な鉄骨橋である
個人的にはこのようなレトロな建築も好きなのだけれど、時代の流れとともに段々と少なくなってきている
西荻(東京)
合理主義者にとっては路地の密集地帯は早急に再開発すべき場所かもしれないが、こうした場所こそ町の個性や魅力を育んでいる
井草八幡宮(東京)
住宅街に囲まれている井草八幡宮の鎮守の杜は広く、都内でも有数の広さを誇るらしい
東上野(東京)
厨房で働くコックたちを眺めていると、まるでスクリーン越しに映画の一場面を見ているような気持ちになった
暗い道の中で光り輝きながら精一杯存在感をアピールしていた標識の努力も、下を通り過ぎる女性には意味が無かった
丸の内(東京)
徳川家康が江戸に入府した頃、丸の内は日比谷入江の一部で、広がっていたのはビル街ではなく海だった
週末だったが、4人ともスーツをきっちりと着こなし、仕事の合間か、もしくはこれからの業務に向かう途中のようだった
丸の内オアゾ(東京)
オアゾとはエスペラント語でオアシスや憩いの地という意味らしい
日本の年間平均労働時間はドイツと比べるとかなり長いものの、アメリカよりは短い
新宿ゴールデン街(東京)
看板だけでは店の中の様子もわからず、初めての店に足を踏み入れるには少しばかり勇気がいる
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