南勢街西羅殿(台南)
どちらも言葉を発することなく、舞台で展開される物語に没頭していた
女の子の靴に描かれたキティちゃんは、どこか無表情で、彼女の没入ぶりとは対照的だった
お楽しみとして演劇が始まるようで、厳かな儀式から一転して、和やかな期待感が漂い始めた
台南(台湾)
観光地を離れた場所には、のどかな空気が漂い、日常の営みがゆっくりと流れていた
水仙宮市場(台南)
無造作に積み上げられた籠と軽食を食べる女性の静かな姿との対比が、混沌とした市場の中に妙な調和を生み出していた
アジアでは手を合わせるという仕草が宗教を超えて「祈り」や「敬意」を示す共通の動作として広く使われているのような気がする
説法が行われていたとはいえ、それは特別に仰々しいものではなく、日常の延長線上にあるような素朴な雰囲気が漂っていた
大勢の参拝客が大きな香炉を囲むようにして立ち、説教とも儀式の一環とも取れる話に耳を傾けていた
八百屋の女性は、そんな静けさの中でも忙しそうで、ゴチャゴチャとした机の端に座り、何かを一心不乱に書き込んでいた
閑散とした市場も、こうして静けさの中で誰かの穏やかな笑顔に出会えるなら、それはそれで悪くないものだと思えてきた
通路の両脇に並ぶお店のシャッターはすべて閉ざされていて、屋根で覆われた通路には電灯もなく、薄暗さが支配していた
悠然と工場の奥に鎮座している神様だけが、僕の視線に気付いているように思えた
台湾でも花環を送る習慣があるけれど、日本と違って花環は葬儀にのみ使われるのが一般的だ
ビンロウを売るお店の中で若者がスマホを見ながらビンロウを作っていた
家と家の間に走る路地は、眺めただけでは通り抜けられるのかどうかは判然としない
媽祖樓天后宮(台南)
媽祖樓天后宮の屋根には神様だけでなく人間や動物もいて賑やかだった
青信号に変わると、バイクが一斉に動き出すという予測可能な流れに少し退屈さを覚えてしまった
人気のない寺院を前にして思うのは、祀られている神様もきっと暇を持て余しているだろうということだった
神農街(台南)
神農老街は台南観光の目玉のひとつだけれど、それほど特別感はなかった
スクーターは何事もなかったかのように一瞬で走り去っていき、また静けさだけが残った
テーブルに頬杖をついていた女性の目はしっかりと閉じられていて、どこか物憂げな表情が印象的だった
台南の通りに出ている看板にはアルファベットなどの外来語の装飾はほとんど見当たらなかった
映画館に掲げられる看板は、単なる広告ではなく、一つの時代の記憶として刻まれていくように思えた
台湾では跪いてお参りするのが一般的なため、祭壇の前にクッションが用意してある
台南の路地で出会う寺院——静かに祈る人びとの姿
どこかで家を持たずに生きるとしたら、やはり南国のほうがいいのかもしれない
崇義黃昏市場(台南)
バイクに乗った男のシルエット
かぼすをギュッと搾る男
崇徳市場(台南)
行儀よく飼い主が戻ってくるのをバイクで待っていた犬はとても楽しそうだった
スクーターに乗った幼い女の子
蛤を売る女性
市場の一角で新聞を読むおじさん
大根餅を焼く女
オーブンの前に立つ男
山盛りのミンチ肉
働く女性の横顔
ニラとモヤシ
捌く女
紫色の手袋をした魚屋
崇徳市場で海老と唐辛子を炒めたお惣菜が売られていた
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