写真を撮っていて、脚立があるともっと面白いのではないかと思うことは多々ある。いつもよりもちょっと高いところから眺めた世界は、いつもとはちょっと違う香りがするのではないかと期待してしまうのだ。
だからといって脚立を担いで町を歩くのも大変そうで、マイ脚立を持って町を散策したことはない。そんな普段は忘却の彼方にある脚立も、肩車してもらっている子どもを目にすると記憶の引き出しから顔をのぞかせてくる。誰かに肩車してもらうような年齢はとうの昔に超えてしまったものの、脚立の上に立てば似たようなものではないかと毎回思うのだ。
浅草寺の境内を歩いていると、幼い女の子がお父さんに肩車してもらっていた。お父さんの肩に乗った女の子は目をキラキラさせながら周囲の喧騒を見渡している。肩車してもらっている子どもはみんな嬉しそうにしている。大好きなお父さんの肩に乗っているというだけでなく、日頃は自分の視線の遥か上にある大人たちの顔がこの時ばかりは自分よりも下にあるのが面白いのだろう。
2022年1月 人びと 東京 | |
浅草 幸せ 提灯 親子 浅草寺 寺院 |
No
12156
撮影年月
2021年11月
投稿日
2022年01月25日
更新日
2023年08月16日
撮影場所
浅草 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
EF135MM F2L USM