ムンバイ(インド)
ぼんやりと往来を眺めていた男は、その静かな空気の中に溶け込むようにして椅子に腰掛けていた
日本でよく見るような青菜があまり見当たらず、代わりに目立つのは瓜類やナス、唐辛子のような南国らしい野菜たちだった
升目を使ったような均等に見える配置が平等のような不平等を感じてしまった
それが青唐辛子と分かった瞬間、無意識のうちに辛さを想像してしまうのは、まさに条件反射というやつなのだろう
日本人にとってココナッツは、お菓子や加工食品で馴染みがあるものの、生の実そのものについては未知の部分が多いような気がする
働く人々の喧騒と猫の静けさが同居する光景は、普遍的な市場の風景なのかもしれない
南国らしい豊富な果物や野菜がもっと溢れていると思っていたけれど、意外にもインドで売られている種類は限られているように感じた
鮮やかな緑色のピーマンと真っ赤に熟れたトマトのコントラストが色鮮やかだった
市場の通路に籠を出して野菜を売っている人もいた
市場の通路には野菜が散乱してて、インドらしかった
インドの市場ではニンニクの鱗茎をバラしている人をよく見かけた
男がそら豆のような野菜を両手でむんずとつかんでいた
カレーの国だけあって、カゴの中にカレーリーフが並べられていた
男は浮かない顔をしていたから、売上が芳しくなかったのかもしれない
ローカル市場には手書きで帳簿をつける男がいた
山積みになったキャベツの横に憂いを帯びた表情の女性が立っていた
マネージャーと思しき男がきょとんとした表情でカメラを見てくれた
スマホの普及率を見てみると、IT大国といわれている割にはインドの普及率は低い
カバンに入れて運ぶより、頭上に載せたほうが楽なのかどうかが気になってしまう
台北(台湾)
韓国人に間違えられることが多かった僕が今回台湾に来るときには航空会社の人に中国人に間違われたので、容貌が徐々に中国化しているのではないかと思う今日この頃だ
国民市場(高雄)
台湾ではマスクを付けている人が多く、コロナ禍をどこか過ぎ去った厄災と思っている人が多い日本と違いを感じた
旅先でローカル市場を訪れるのは地元の人の生活の一端が垣間見られて面白い
足立市場(千住)
普段は一般消費者が入れない足立市場も「あだち市場の日」には入ることができる
札幌市中央卸売市場(札幌)
登録すればターレーは公道を走ることも可能なのだけれど、町中でターレーを乗り回している人を見たことはない
競りは見学できるものの、2階の見学通路からで1階せり場へは入れない
函館朝市(函館)
コロナ禍で函館市水産物地方卸売市場の見学はできなかったけど、カニの重さを量る人は見れた
武蔵小山(東京)
昔ながらのスーパーマーケットに野菜と笑顔が転がっていた
カノマン市場(チルボン)
燦々と降り注ぐ日光は陳列された食材や働いていた人間を生き生き映しだしている
カノマン市場のある魚屋は鮮魚を扱っているものの、冷蔵設備はなかった
笑いにはボトムアップ型の笑いと社会的な場面に合わせて笑顔を作るというトップダウン型の笑いの2種類ある
市場の片隅に買いだめした買い物客のベチャが駐められていた
冷蔵設備もないむき出しのカウンターの上に置かれていた鶏肉にハエが集っていた
インドネシアで指輪はタイにおけるプラクルアンのようなもののようだ
海洋貿易で栄えたチルボンにあるカノマン市場では海産物が多く売られている
昔ながらのカノマン市場ではクレジットカード決済もQRコード決済も利用できない
赤道近くにあるジャワ島にあるチルボンで、赤ちゃんは毛糸の帽子をかぶっていた
インドネシアでは様々な料理にこの豆が使われるプテが大量に市場に並んでいた
昔ながらのカノマン市場では廃墟のような建物の中にも店を開いている人もいる
廃屋のように静まり返った市場の中に管理事務所があった
カノマン市場の一角で疲れた人びとが昼寝していた
トラック
マンゴー
門
髭
無精髭
入り口