写真の女性は手を合わせて、真剣な面持ちで説法に耳を傾けていた。ここは南勢街西羅殿という寺院で、建物の様式や雰囲気から道教の寺院ではないかと思われる。道教は仏教とは異なる宗教ではあるが、参拝客の所作には似たようなものがあるようだ。
そういえば、ベトナムでカオダイ教の信者たちが祈りを捧げている様子も目にしたことがあるが、彼らもやはり手を合わせていた。アジアでは、手を合わせるという仕草が宗教を超えて「祈り」や「敬意」を示す共通の動作として広く使われているのかもしれない。この所作には何か深い起源があるのだろうか。
古代から、手を合わせる仕草は「何も持たず、敵意がないこと」を示す動作として使われてきたともいわれている。それが祈りの形としてアジアで広まり、道教や仏教、カオダイ教といった宗教に受け継がれてきたのではないかと考えられる。ただ、同じアジアでもヒンドゥー教では、祈りの場面で手を合わせるイメージはあまり浮かばない。ヒンドゥー教では、特定の姿勢や手の形(ムドラー)で祈ることが多く、少し異なる文化的背景があるようだ。
宗教や地域を越えて、この仕草が持つ普遍的な意味を想像するのは興味深い。手を合わせるという動作は、単なる祈り以上に、人間同士が敬意を示し合う普遍的なコミュニケーションの一環として機能しているのかもしれない。
2017年3月 人びと 台湾 | |
手 台南 参拝客 |
No
10067
撮影年月
2016年9月
投稿日
2017年03月10日
更新日
2025年01月22日
撮影場所
台南 / 台湾
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
SONY ALPHA 7R II
レンズ
EF85MM F1.2L II USM