矢掛にある専教寺境内の一角には水子地蔵が立ち並んでいた。どの地蔵も風車を横にしている。そして、みな胸の前で手を合わせている。時折風が吹くと、風車はカラカラと回っていた。それにしても、水子供養をする人はこの辺りにも多いのだ。この辺りは気候が温暖で、昔から食べるものに困らないというイメージがあったけれど、望まれない子どもも同じように多かったのかもしれない。
どの地蔵も同じ顔のようだ。目尻は下がっているものの、悲しげな顔をしている。複雑な思いを胸に雨の日も風の日もここに立ち続けているのだ。
水子(みずこ)は、生まれてあまり日のたたない子、あかごのこと。また、胎児、特に流産または人工妊娠中絶により死亡した胎児のことを指す。泡子とも。水子という呼び名は、生まれて間もなく海に流された日本神話の神・水蛭子より転じたものとされる。
No
1301
撮影年月
2007年9月
投稿日
2008年01月05日
撮影場所
矢掛 / 岡山
ジャンル
静物写真
カメラ
CANON EOS 1V