ヤンゴン中央駅(ヤンゴン)
話している時間が長くなれば長くなるほど、見送るのが辛くなってしまう気がする
ヤンゴン中央駅では床に座り込んで列車を待っている人もいる
ヤンゴン(ミャンマー)
ぶかぶかのシャツを着た子どもは自転車タクシーの座席に立ち上がって真っ直ぐに前方を眺めていた
椅子の上で胡坐をかいたお母さんに幼い女の子がもたれかかっていた
子どもの体を洗うのも、お母さんの大事な日課のひとつに違いない
息子に向かって伸ばした腕の指先にまで力が入っているところを見ると、お母さんは息子を叱っているところのようだ
ミョーマ市場(タニン)
通行人の流れに竿を差すかのように通路の中央で親子は果物を食べていた
自分の愛しいお母さんが見知らぬ外国人のおっさんに朗らかに応じているのが男の子は気に食わないのかもしれない
チャウタン(ミャンマー)
ヤンゴン中心部と違って、チャウタンではバイクが走っているのを目にする
親子連れがウェッタードウットーの屋台に就いていた
ダニンゴン駅(ヤンゴン)
プラットホームでお母さんが授乳しようとしていた
ダニンゴン市場(ヤンゴン)
大量のバナナの横で寝たらバナナの夢を見るかもしれない
インセイン駅(ヤンゴン)
窓辺に腰掛けたお母さんと男の子たちがじっと出発を待っていた
ダラ(ミャンマー)
ヤンゴンに刺青を入れた男性は大勢いるけれど、ピアスをした人は珍しい気がした
お母さんがどっしり椅子に腰掛けて、膝の間に幼い娘を挟みながら娘の髪の毛の手入れをしてあげていた
ストランド通り(ヤンゴン)
若いお母さんはパジャマと言ってもいいようなカジュアルな格好で夜市にいた
バンコク(タイ)
ヘアピンを付けた女の子は写真を撮られるのにノリノリで、ハンドルに寄りかかりながら笑ってくれた
マハーチャイ(タイ)
お母さんが買い物をしている間、手持ち無沙汰だった幼い女の子と僕の視線がバッチリ合った
メークロン線(タイ)
幼い男の子と女の子が車窓の両脇に直立して、外の光景を食い入るように眺めていた
メークロン線路市場(タイ)
どこまでも続いている線路と違って、線路市場はそう遠くまでは続いていない
ワット・ペット・サムット(メークロン)
メーチーと呼ばれる在家信者も男の子も坊主頭だった
バーンコークヤイ区(バンコク)
バンコク市内にも東京と同じようにあちらこちらでコンビニが営業をしていて、そのほとんどがセブンイレブンのような気がする
バーン・バート(バンコク)
赤ちゃんが付けているおむつは紙おむつではなく、布のおむつだった
プラナコーン区(バンコク)
ブランチという言葉は、英語の朝食を意味するBreakfastと昼食を意味するLunchの混成語だ
のどかな夕暮れ時に忙しそうにしている人は誰もいなかった
食生活は母系で遺伝するという説の証拠のような親子が玄関先に腰を下ろしていた
建物に挟まれた路地は薄暗く、降り注いでいるのは建物の間から頼りなく差し込んでくる光だけだった
チャイナタウン(バンコク)
チャイナタウンの路地に出ていた雑貨屋では中国風の雑貨が売られていた
池上本門寺(池上)
本堂に行くには急な石造りの階段を登らなければならず、足を踏み入れるための登竜門のようだった
有楽町(東京)
お父さんが幼い娘の小さな手をしっかり握りながら歩いていた
覚林寺(白金台)
カラフルなスーパーボールすくいの屋台は子どもたちに大人気だ
品川(東京)
女の子がお母さんの広げた腕の中に飛び込んでいた
東京ドームシティアトラクションズ(水道橋)
季節は冬で水飛沫を浴びたら寒いのではなかろうかと思うのだけれど、スリルを求める人びとに寒さなんて関係ないようだった
富士見坂(目白)
坂の先に見えるのは高層のビル群ばかりで、かつての眺望は名前にわずかな名残を留めているだけだった
大同区(台北)
ただそこに立ち尽くすことしかできない無言の時間が流れる中で、人々はそれぞれの思考や感覚の中に沈んでいるようだった
水仙宮市場(台南)
シャッターの閉まった水仙宮市場で親子ふたりが我が家でくつろいでいるかのように楽しんでいた
東獄殿(台南)
お母さんと娘とスマホ
中西区(台南)
ほとんどの男の子にとって、お母さんのすぐ後ろは安心できるポジションだ
崇徳市場(台南)
スクーターに乗った幼い女の子
東区(台南)
僕と同じように道を歩いている人は少なく、バイクや自動車で移動する人が多いようだ
信号
顔
門
煙草
扁額
中華街