台北にやって来て、いくつかの寺院を巡っていた。商売繁盛の神様を祀った行天宮や、有名な龍山寺などは、いつ訪れても大勢の参拝客でごった返している。お供え物の果物がうずたかく積まれ、線香の煙で目が痛くなるほどだ。しかし、それらの賑やかな名所とは対照的に、こちらの孔子廟は驚くほど静けさに包まれていた。境内に一歩足を踏み入れても、観光客や地元の信者の姿はほとんど見当たらない。
そのほとんど姿を見当たらない理由を考えてみるに、やはり神様の専門分野が現金な人びとの欲望に合致していないからだろう。行天宮の関羽などは商売の神様だから、お参りすれば直接ポケットに金が入るような現世利益が期待できる。一方、こちらの孔子は道徳や学問の神様だ。お参りしたからといって、急に宝くじが当たったり商売が大繁盛したりするわけではない。人間というものはひどく実利的な存在だから、儲かる見込みの薄い場所には、わざわざ熱心に足を運ばないものらしい。学問を修めるのには静かな環境が一番だから、孔子先生にとってもこの閑古鳥が鳴く状況は好都合なのかもしれないが、現世の人間たちの現金さにはいささか呆れてしまう。
その人間の現金さがもたらした、落ち着いた境内の雰囲気が、逆に僕にとってはすこぶる心地よかった。手前の薄暗いお堂の影に身を潜め、太い柱の隙間から奥へと続く空間をぼんやりと眺めていた。伝統的な美しい瓦屋根が連なる奥の扉の向こう側を、人影が静かに横切っていくのが見えた。
| 2007年4月 町角 台湾 | |
| 人影 門 台北 寺院 |
No
832
撮影年月
2007年1月
投稿日
2007年04月08日
更新日
2026年06月12日
撮影場所
台北 / 台湾
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
CANON EOS 1V