男は白い布を折り畳んだような帽子を被っていた。これは「ガンジー帽」と呼ばれるもので、インド独立運動の象徴のひとつとされている。ナシークの町を歩いていると、この帽子を身に着けた男を時折見かける。民族衣装といえるほど普及しているわけではないが、古い町並みや市場を歩くと、ガンジー帽を被った年配の男たちが椅子に腰を下ろして茶をすする姿に出会うことがある。帽子の形は簡素であるのに、なぜか水兵の制帽を連想させる。強烈な日差しの下で、白布の折り目が光を跳ね返しているのを見ていると、制服と私服の区別など無意味に思えてくる。
この写真の男は、そんな僕の連想を見透かしたかのようにカメラを向けるとふいに苦笑いを浮かべた。苦笑いは万国共通の表情であるが、その意味合いは必ずしも一様ではない。日本であれば場をやわらげる方便だろうし、インドであれば「まあ仕方がない」といった諦観の混じった響きを帯びる。ナシークは古来より巡礼の町として知られ、ガンジス川の源流のひとつゴーダーヴァリ川が流れている。12年ごとに「クンブ・メーラ」という大規模な宗教祭典が行われることで有名だが、普段は素朴な地方都市にすぎない。その町角で、見知らぬ旅人に無防備な笑みを向けるこの男も、また日々の生活を営む一人にすぎないのだ。
ちなみに、このガンジー帽はインド独立運動の指導者マハトマ・ガンジーが愛用したことから名がつき、独立後は政治家や公務員の間で一種の正装として広まった。現在でもマハーラーシュトラ州などでは高齢の男性が愛用しているが、若者はむしろファッションとして被ることもあるらしい。僕にとっては、ただの帽子が歴史を背負った象徴に見えてしまうのが不思議だ。ナシークの街路に腰かけるこの男の苦笑いは、そんな僕の思い入れを軽くいなすかのようで、どこか心地よい。
2011年5月 インド 人びと | |
苦笑い ガンディー帽 男性 ナシーク 無精髭 |
No
5486
撮影年月
2010年9月
投稿日
2011年05月30日
更新日
2025年08月19日
撮影場所
ナシーク / インド
ジャンル
ポートレイト写真
カメラ
CANON EOS 1V
レンズ
EF85MM F1.2L II USM