壁には黒い扉が設けられていた。しっかりと閉じられている扉だ。扉には表札も看板のないので、中にどのような空間が広がっているのかは外からは分からない。個人の家の扉のような気もするし、同時に会員制のバーの類いの扉のような気もする。
中が気になるのであれば、扉を開ければすぐにでもその答えを知ることが出来るのだけれど、僕にはそのような勇気はなかった。扉の近くで、誰かがやって来て僕の代わりに扉を開けてくれる人が来るのを待っていたのだけれど、そのような人は誰もやって来てはくれなかった。
何も書かれていない扉を開けるのにはそれ相応の勇気がいる。ドラえもんのどこでもドアも扉の向こうがどこだか分からず、開ける度にドキドキしなければならないのであれば、それはそれで面白いけれど憧れる人はずっと少なくなるだろう。
関東大震災および第二次世界大戦時に東京に集中した空襲の被害が少なかったことや地域住民らの取り組みもあって、特に京島二丁目から京島三丁目付近には大正時代からの昭和初期の長屋などが現存されており、古い家屋と町工場が混在している東京下町の古くからの街並みが色濃く残っている地域としても知られている。一方で狭い路地による車の通行の問題や、大規模地震などの災害時の対策も課題となっている。その対策の一環として、現在、京島一丁目では京成押上線連続立体交差工事および京成曳舟駅前地区市街地再開発事業が行われている。この事業によって車道が拡張され、車の通行の問題は解消されることとなる。なお現時点では京島二丁目・京島三丁目には再開発事業の予定は立っていない。
No
3
撮影年月
2004年11月
投稿日
2005年01月01日
撮影場所
京島 / 東京
ジャンル
ストリート・フォトグラフィー
カメラ
CANON EOS 1V