郵便局の前で、無精髭をたくわえた男に声をかけられた。僕の手にあった絵葉書を、彼はじろじろと眺めている。どうやら日本語という文字が珍しく映ったらしい。彼の目には、複雑怪奇な記号が紙面を埋め尽くしているように見えるのだろう。だがこちらからすれば、インドのコルカタで目にするベンガル文字の方が、よほど謎めいていて奇怪に感じられる。曲線と点とを組み合わせて作られたその形は、僕にはまるで幾何学の落書きのようであり、しかし地元の人々にとっては日常そのものである。要するに、お互いに相手の文化を奇異に思うのは同じで、差し引きすれば五分五分ということになる。
男は特に用件があったわけでもなく、ただ暇つぶしにこちらへ好奇心を伸ばしてきただけらしい。観光客が葉書などという古風な道具を手にしているのが、彼にはむしろ滑稽に映ったのかもしれない。現代のインド人にとってはスマートフォン一つあれば十分で、わざわざ切手を貼る行為などは時代遅れなのだろう。もっとも、日本でも郵便制度の起源をたどれば飛脚や継飛脚がいて、結局のところ通信という営みはどこでも似たような歴史を持っている。そう考えれば、異国で笑われたところで腹を立てる筋合いはない。僕は彼の笑顔を前に、ただ「旅人らしくからかわれているのだ」と受け止めることにした。
コルカタの街角で交わした一瞬のまなざしは、言葉を超えて文化の交錯を教えてくれる。絵葉書の日本語も、ベンガルの文字も、要は人間が世界を記録するために編み出した便利な符号にすぎない。その符号を前にして笑う男と、笑われる僕。旅とは結局、そういう取るに足らない場面にこそ面白みが潜んでいるのだ。
2012年8月 インド 人びと | |
顔 コルカタ 男性 無精髭 |
No
6737
撮影年月
2011年7月
投稿日
2012年08月23日
更新日
2025年09月23日
撮影場所
コルカタ / インド
ジャンル
ポートレイト写真
カメラ
OLYMPUS PEN E-P2
レンズ
M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42MM